子どもの心・尊厳を傷つける精神的暴力をいかに止めるか  「叱る教育」は必要ない

2017年3月、福井県池田町立池田中2年の男子生徒が自死したのは担任らの厳しい指導が原因とされた。報告書が公表され、記者会見で謝罪する池田中の校長(中央)ら=2017年10月

 子どもたちが教師による暴言や過剰な叱責によって追いつめられ、自死に至るケースは「指導死」と呼ばれる。最近、この指導死に当たるのではないかと、問題化する子どもの自死が増えている。これらの自死の背後には、どれほどの数かは分からないが、自死には至らないまでも、教師に叱られることで深く傷ついている子どもが多くいると考えられる。

 こうした「叱る教育」は、子どもの心・尊厳を傷つける精神的暴力である。しかし、学校現場でも、わたしが長く研究してきた教育学の世界でも、叱ることそのものを問う動きは乏しい。(早稲田大学名誉教授=喜多明人)

 ▽みんなの前で叱ることは効果的か

 今でも忘れられない光景がある。

 1960年代前半、中学生のときであった。ある寒い日の朝。千人余りの全校生を校庭に集めた朝礼で、以前から乱暴が目立っていた男子生徒が呼び出され、朝礼台の上に立たされ、体育の教師からビンタを浴びた。生徒全員がひれ伏し、おびえた。心が凍てつく場面だった。

 もう一つの思い出を紹介する。70年代後半、大学院生のころ、ある著名な教育学者が懇談の席で自慢げにこう語った。「私は若い人を叱る時は、みんなの前で叱るようにしています。それが実に効果的であり、いい意味で見せしめにもなるからです」

 学校には今も「みんなの前で叱る」ことを是とする発想が残っている。叱られた子どもが恥ずかしい思いをし、尊厳を傷つけられていても、その人権侵害性に気づかず、それこそが効果的な教育方法なのだと思い込み、半ば公然と行われてきた。

 しかし、このような叱り方に関して、日本も1994年に批准した子どもの権利条約28条2項は、こうくぎを刺している。

 「締約国は、学校懲戒が子どもの人間の尊厳と一致する方法で、かつこの条約に従って行われることを確保するためにあらゆる適当な措置をとる」

 今日、体罰を見せしめ的に使う手法はさすがに影を潜めている。しかし、今も行われている「みんなの前で叱る」という教育方法もまた、明らかに「子どもの人間の尊厳」を損なう行為であって、条約28条違反である。

 ちなみに、国連「人権教育の10年」行動計画(95年~2004年)においても、教育方法の人権性、民主性について改善していくことが提言されてきた。 

 ▽子どもの尊厳を損なう叱責は本当に必要か?

 ところで、子どもの権利条約では、学校懲戒が人間の尊厳と一致する方法でなければならないとしたが、では果たして「人間の尊厳と一致する方法での懲戒、叱責」があり得るのだろうか。懲戒、叱責という行為自体、上から目線で諭す行為には違いなく、その圧迫感自体が、子どもの尊厳を損なうリスクを伴う。そのようなリスクを冒しても、叱責が必要なケースは、あり得るのだろうか。

 叱る行為は主として、それによって不正を正し、秩序・規律の維持することを目的とした指導・しつけの方法であろう。だとしたら、その目的を達成できれば、叱責という手法は不要となる。

 前述した権利条約の「学校懲戒」は「school discipline」が原語である。わたしが代表を務める国際教育法研究会が、当時、親や教師の懲戒権を意識してそのように訳したが、現時点では狭すぎた感は否めない。親の懲戒権の見直しが進んでいる現在にあっては、「学校規律」といった訳の方がふさわしいように思われる。

 学校規律という言葉で28条2項を捉え直せば、子どもの人間の尊厳と一致する方法として、子どもたちの参加、自治をベースにおいた主体的な規律形成を図る実践こそが要求される。子ども自身の力で、あるいは子ども同士で「自省」し、自主規律を形成できる機会さえあれば良いのではないか。

2015年11月、鹿児島県奄美市立中1年の男子生徒が自死した問題で、再発防止策を求め記者会見する父親。第三者委の報告書は、同級生に嫌がらせをしたと誤認した担任の指導が原因だったとした=鹿児島県庁、2018年11月

 ▽子どもの自主規律・叱らない教育をめざす学校へ

 「実験学校(オルターナティブスクール)」が法制化された台湾では、「叱らない教育」を教育方針としている実験学校がいくつかある。筆者も訪問した小学校では、子どもの自治的な規律を生活討論会で議論し、さらに学校法廷で運営していた。

 子どもの権利条約の淵源をたどれば、条約の精神的父といわれたヤヌシュ・コルチャックの存在がある。彼が経営していた孤児院は、子ども共和国と呼ばれ、その社会秩序の維持は、子ども憲法下で子ども法廷によっていた。

ワルシャワ市内のユダヤ人墓地に建てられたヤヌシュ・コルチャックの記念像落成式=2002年8月

 日本でも戦後の教育改革期、新制高校の一部に、新憲法公布に触発されて「三権分立型の生徒自治会」が誕生した(神奈川県、静岡県など)。立法=生徒総会、行政=生徒会執行部と並んで、生徒による司法委員会などが置かれ、学校規律(懲戒)への生徒参加が始まった。こうした動きは、その後「リンチになる」などとして、学校現場の支持を得られず衰退していく。そして、教師主導の懲戒体制が定着してしまった。

 現在、日本の学校では「ブラック校則」が社会問題になるなど、学校・教師による子どもへの統制が強まっていて、生徒側の自主規律は望むべくもない状況である。しかし、だからといって、教師の過剰な叱責や暴言で傷つく子どもたちを放置することはできない。

 これらを人間の尊厳を傷つける人権侵害ととらえ、歯止めをかける立法・行政措置を強く求めたい。立法・行政措置のあり方については、稿を改めて論じたい。

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