甲府市のオリンピック通りで最古参 居酒屋「くさ笛」、83歳の女将

池田拓哉
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 甲府市中心部の歓楽街は、古くからの横丁がおもしろい。その一つ、「オリンピック通り」は最初の東京五輪が開かれた1964年にできた。

 パリ五輪の今年、完成から60年を迎える。この横丁で最古参の居酒屋は「くさ笛」。樋口東洋子さん(83)が67年春、26歳で看板を出した。

 「オリンピックの名が付く通りで店を持てて、うれしかったね」。東京五輪で金メダルに輝き、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーチームの勢いと、「東洋子」の名前を重ねて意気揚々と店を始めた。

 開店当時は東京五輪の2年半後だったが、酔客とは「東洋の魔女」の話題で盛り上がった。なんといっても主将だった河西昌枝さんは山梨県出身。その後も夏の五輪が近づくたびに、カウンターを挟み、郷土のヒロインの思い出話に花が咲いた。

 70年代前半までの高度経済成長時代、オリンピック通りには約50軒の飲食店が横に縦にとひしめいた。「店を閉める朝方、路地にはお札が落ちていた」

 バブル景気が終わった90年代、横丁の明かりはだんだんと消えた。くさ笛の看板だけが光ったころもあった。

 苦しい当時、元気づけてくれたのは「Qちゃん」こと女子マラソン高橋尚子選手。2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得、国民栄誉賞も受賞した。「なんとなく21世紀も頑張れそうな気がした」

 13年、五輪が再び東京で開催されることが決まった。翌年、店をひょっこり訪れた俳人の小澤實さんが一句残した。「くさ笛や 次の五輪の 次までも」。樋口さんは「次の東京五輪まで店を続けて、なんておっしゃってね」と笑う。

 昭和レトロブームもあり、横丁の店は増えてきた。午後4時。「きょうは自宅の裏山でふきのとうを採ってきたの」。老舗の聖火は今夜も灯(とも)る。(池田拓哉)

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