この一冊 椋鳩十著「椋鳩十 童話集」 動物へ慈しみのまなざし

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 新学期の書店は、教科書関連の業務で慌ただしい。

 小学五年生の国語の教科書を開いてみると「大造じいさんとガン」があった。水鳥のガンの群れの頭領である「残雪」と、それを狙う狩人の大造とのいきさつを描いた物語だ。私も30年以上前に授業で読んだ。今でも掲載されていることに驚き、懐かしくなった。

 この話もそうだが、忘れられない物語というのがある。すぐに消化できないが、心の中にひっかかり続け、何かの折に思い出すような話だ。そこには何か大切なものが潜んでいる気配がする。今回の「椋鳩十(むくはとじゅう) 童話集」にはそうした話が詰まっていると思った。

 椋鳩十は1905年、長野県生まれ。上京し、大学卒業後には鹿児島に移り住んだ。教職に就き、図書館長なども務めて読書活動に力を入れる一方で、数多くの動物文学を残した。

 水鳥とはいえ「残雪」という向かい合う相手への敬意を感じさせる先の話を含め、童話集は六つの話を収録している。

 「月の輪グマ」では親が子を思う愛情、「片足の母スズメ」ではどんな状況になっても懸命に生きる姿、「片耳の大シカ」では気高さや寛大さ、「モモちゃんとあかね」には思いやりと優しさといった面が描かれるが、物語にはそうした一言では決して伝えきれないほどの情感がある。

 動物の生態の中に人間として大切なことを見いだし、読者はその物語をまるごと全身から浴びて疑似体験するようにして一連の出来事を振り返り、考えさせられる。

 また、物語には動物に対する同じ生き物としての慈しみのまなざしがある。特に「マヤの一生」ではそれが強く表れていた。家族同様にかわいがっていた愛犬に訪れる、戦時下における悲しい物語だ。

 愛犬を差し出すようにと迫られる苦しみ。与えられた役割によって、またその時の状況によって、異なった判断の立場がある。しかし、自分が思っていた以上にこの物語が深く私の心に入ってきたのは、「こういう時代になると、人びとは、知らず知らずのうちに、荒あらしい心の持ちぬしになってしもうのかもしれません」という文があったからだ。平時ではない状況によっては、誰もがその心のつらさを背景に豹変(ひょうへん)する危険性があるように思えた。

 社会変化が著しく、格差は広がり、先行きが不透明な時代。自分から徐々に余裕が消え、利己的になり、気持ちがいら立つ方向に向かってはいないだろうか。

 椋鳩十の物語から感じるものは、心の奥にともる「徳」というものなのかもしれないと思い、辞書で「徳」を調べると、その一つに「品性」という言葉が出てきた。それは目には見えないが、人間として養い育てていく、大切なことなのではないかと思った。

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