背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 ヤクルトは通算6人
迎えた2018年は12球団のうち10球団に「69」の選手がいるが、背番号の歴史においては欠番が多かったナンバーだ。
特に少ないのは
ヤクルト。プロの選手経験がない田口周コーチが1971年だけ着けたのが初代で、翌72年からは2代目の
丸山完二コーチが85年まで長く着けていたが、18年から「69」を着ける
山川晃司で数えて6代目だ。
「69」という少数派の系譜には、波乱万丈なプロ野球人生を過ごした投手が多い。古くは南海の3代目で、
村上雅則らと米国へ留学したものの芽が出なかった内野手の吉川(田中)達彦。その後継者が大工の見習いからダイエーへテスト入団した田畑一也で、のちにヤクルトで開花した。
日本ハムの
岩下修壱は
オリックスで白血病から復活した奇跡の左腕だ。
【12球団主な歴代背番号「69」】
巨人 佐藤誠(充)、
實松一成、
寺内崇幸、
隠善智也、
田中貴也☆(2018〜)
阪神 有光磐明、メイ、
西川慎一、
森田一成、
島本浩也☆
中日 太田文隆、中山義朗(コーチ)、
市原圭、
小林正人(小林正)、
赤坂和幸 オリックス 成田光広、
新井宏昌(コーチ)、
竹原直隆、
長峰昌司、
大山暁史☆
ソフトバンク 松本芳之、田畑一也、
井手正太郎、
牧原大成、
曽根海成☆
日本ハム
谷山高明(打撃投手)、トニー田島(トニー)、
関根裕之(打撃投手)、岩下修一、
佐藤賢治 ロッテ 佐々木信行、
榎康弘、江口亮輔、
マーフィー、
肘井竜蔵☆
DeNA 松井武雄、室井勝、笹川博、
中村日出夫、渡辺雅弘
西武 西岡良洋、
羽生田忠之、
谷中真二、ウルフ、
郭俊麟☆(2018〜)
広島 熊澤秀浩、
井上浩司、
天谷宗一郎、
ロサリオ、
青木陸☆
ヤクルト 丸山完二(コーチ)、上野忠、ダグラス、
川上竜平、山川晃司☆(2018〜)
楽天 玉木重雄、
ダックワース、
今野龍太、
山内壮馬、
野元浩輝☆
(☆は現役)
助っ人は個性派ぞろい
2010年代には“日本一の使者”とも言える左右の外国人投手が存在感を放つ。左腕は10年に開幕6連勝を含む12勝で“史上最大の下剋上”を呼び込んだロッテのマーフィー。豊富なメジャー経験を誇り、13年に楽天で初の日本一を見届けて引退したのが右腕のダックワースだ。
外国人選手は個性派ぞろいで、14年にサイクル安打を達成した広島のロサリオは、なぜか“オサム”と呼ばれたドミニカン。山口県岩国市で少年時代を過ごしたのが巨人のマレンで、その巨人へ移籍してきたのが、阪神で「69」を着けて監督批判の怪文書を撒いたトラブルメーカーのメイだ。
広島の系譜をさかのぼると、天谷宗一郎が若手時代を過ごして外野守備の名手に成長。巨人はマレン以降、小刻みに好選手を輩出していて、内野守備の名手で「00」を着ける寺内崇幸、日本ハムでプレーしている捕手の實松一成、
市川友也らがリレーした。守備の名手では、のちに外野のゴールデン・グラブに輝いた若手時代の西岡良洋が西武にいる。その後継者となったのが先発右腕のウルフだ。
中日で長く着けたのが小林正人(小林正)。
落合博満監督の最終年でもある11年に防御率0.87という安定感で優勝に貢献したサイドスローで、「67」に引き続いて黄金時代を大きな背番号で彩った左のリリーバーだ。
変わっているのがDeNA。選手としては不遇だったが、のちに初代の松井武雄は球団代表、3代目の笹川博は取締役に。背番号の系譜では異例の“出世コース”となっている。
写真=BBM