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平成ホークスを語る

平成唯一の三冠王 松中信彦インタビュー 「『自分のため』から『チームのため』、そして『ファンのため』──。思いの変化は、僕の中ですごくいい経験になりました」

 

常勝軍団へと変貌を遂げるチームの中で、主軸を担い、選手会長も務めた松中信彦氏。2004年には平成最初で最後となる三冠王に輝いた最強打者が、19年間の現役生活とホークスへの思いを振り返る。
取材・構成=菅原梨恵、写真=BBM

03年に右ヒザを痛めたことで打撃フォームをチェンジ。これが好結果を招き、04年には三冠王を獲得


“戦う軍団”への変化


 1996年秋のドラフトでダイエー(現ソフトバンク)に2位指名されてプロの扉をたたいた。王貞治監督(現球団会長)の下、チームが“戦う軍団”へと変わっていくとともに、松中信彦もチームに欠かせない存在になっていく。リーダーとして王監督の「勝つ」という意識を後輩たちへと伝えていきながら、たび重なるケガにも苦しんだ。ただ、その苦しみがあったからこその経験、思いが、松中の心には刻まれている。

 入団当時のホークスははっきり言って弱かったです。今思えば「勝ちたい」という集団じゃなかった。負けても傷のなめ合いで、それを一番、王貞治監督(現球団会長)は嫌っていました。「淡々と試合をしても野球の神様は微笑んでくれない」「悔しがるという姿を見せてほしい」と。“戦う集団”を作りたかったと思うんですよね。監督が徹底して「勝つ」という意識を植え付けていく中で、小久保(小久保裕紀)さんを筆頭に徐々に選手たちも変化していきました。「皆で勝ちにいくぞ」という思いが1999年、福岡での初優勝・日本一につながっていったと思います。

 僕自身も入団してからの2年間は木のバットに苦しんで、なかなか結果も出せずにいました。2年目のシーズン終盤に、ようやく手応えをつかみつつありましたが、3年目にこけたら、また一緒だと思った。99年は自分の中で「今年ダメだったら終わる」くらいの気持ちで臨んだシーズンだったんです。初めてレギュラーとして開幕スタメン「九番・一塁」でスタートして、結果も残して優勝。本当にいい1年になりましたね。

 99年以降、僕はチームの中心メンバーとなっていくわけですが・・・

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