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千早茜さんに創作の火を熾した歌姫Cocco たったひとりで立ち、自分の言葉で表現する覚悟

 子供の頃から、アイドルとかモデルとか俳優とか、人前に立つ華やかな職業に憧れたことがほとんどない。なんとなく、自分は表舞台より裏方が向く人間だと思っていた。数年だけバレエを習っていたことはあったが、バレエダンサーになりたかったわけではなく、ただ踊るのが好きなだけだった。踊っている間は自分のすべてを捧げられる気がしたから。

 そんな私が唯一憧れたのは歌姫だった。とはいえ、自分が歌いたいわけではない。一体、歌姫という言葉をどこで知ったのか、いつの頃からかそれを希求するようになっていた。それはもう概念といってもいいだろう。中学、高校とそんなに音楽に溺れたことはないけれど、流行の曲はそれなりに聴き、好きなバンドもいたし友人とライブに行ったりもした。それでも、頭のどこかで自分の夢想する歌姫を探していた。

 大学受験に失敗し、浪人生になった年、深夜にテレビを点けると女性がひとり、獣のように髪をふり乱して歌っていた。ごうっと風が吹いた気がした。長い黒髪、白いキャミソールワンピース、バレエダンサーのような細く長い手足、まっすぐにこちらを見つめる黒い瞳。ああ、歌姫だ、と思った。ずっと探していた歌姫だと、呆然と眺めた。それがCoccoで、その時に聴いたのは「カウントダウン」だった。次のシングルの「強く儚い者たち」でも愛の狂気と脆さと逞(たくま)しさが描かれていて、ろくに恋愛もしたことがないのにわかったような気になって歌詞に震えた。アルバム「ブーゲンビリア」の中の「遺書。」「がじゅまるの樹」を聴いて泣いた。

 Coccoを聴くようになってから、詩を書くようになった。なにを思ってもいい、叫びも憎しみも痛みも喪失も執着も文字にしてもいいのだと、背中を押された気になった。私が求めていたのは、たったひとりで立ち、体ひとつで表現する存在だった。彼女が仁王立ちで、怒るような泣いているような顔で歌うと、ごうごうと風が吹き荒れた。その風は私の感情を烈しく弄(なぶ)り、創作の火を熾(おこ)してくれるものだった。

 けれど、小説家デビューをして、私はCoccoを聴くのをやめた。インタビュー記事が載っている雑誌も追わなくなった。これから自分の表現をしていかなくてはいけない中で、彼女に引っ張られてはいけないと思ったからだった。歌姫はあまりに私の心に棲みついていた。好きで好きで、弱い私は耳を塞ぐしかなかった。

 文章を生業にして十年目にCoccoを解禁した。どきどきしながらライブにも行った。相変わらず、歌う彼女のまわりではごうごうと風が吹き荒れていた。けれど、慈愛にも満ちていて、雲とか、海とか、陽光とか、人ではない大きな塊のようにも見えた。初めて聴いた時のように呆然と眺めた。

 憧れる歌姫にはなれなかったし、私はあんな風に魂を燃やして表現をすることはできないかもしれない。それでも、たったひとりで立って、自分の言葉で表現できるようになった。ようやく好きだと言える資格を得た気がして、このエッセイを書いている。