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宿澤、奥、廣瀬……日本ラグビーがわずか8年で世界に追いつけた「陰の功労者たち」

2019/10/22

 ラグビー日本代表は2011年までW杯に7大会連続出場するも、わずか1勝にとどまっていた。2011年大会も1分3敗で1次リーグ敗退。

 しかし2015年の前回大会で「ブライトンの奇跡」を含め3勝を挙げると、今大会は4連勝を挙げベスト8に初進出。番狂わせが少ないラグビーで、ティア1と呼ばれる伝統10カ国の壁を見事に破った。

 日本ラグビーはなぜわずか8年で世界に追いつけたのか? チームスポーツでこれだけ一気に階段を駆け上がるのは異例ではないか?

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 1991年の第2回大会からラグビーW杯を取材。30年以上、日本代表を取材しているジャーナリストの村上晃一氏に聞いた。

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忘れられない南ア戦、最後の数分間

 南アフリカ(南ア)戦、80分を迎える最後の数分間、日本代表の選手はタックルを繰り返しました。3-26で負けていて、もう勝つ目はない。それでもピーター・ラブスカフニ、ヴァル アサエリ愛、中村亮土……全員が懸命に南アの猛攻にくらいつく。すると80分を過ぎて、トライを取れないと判断した南アがボールをタッチの外に蹴り出しました。確かに勝つことは叶いませんでしたが、私はこの場面に今の日本の強さがはっきり出ていたと思います。

 ジェイミー・ジョセフヘッドコーチは「献身的に尽くす人間」「チームのために最後まで戦う選手」だけを代表に残してきました。グラウンドでただパフォーマンスが良いだけじゃなく、練習でもずっと努力し続けられる選手たち。

南アに敗れたあと、キャプテンのリーチを中心に円陣を組む日本代表選手たち ©AFLO

 そういう一生懸命プレーするチームになったからこそ、応援するファンが一気に増え、南ア戦のスタンドのお客さんも試合終了の笛まで席を立たずに選手たちを見守った。

 なぜこれほど良いチームが生まれたのか。なぜ8年で日本が世界に追いつけたのか。私は日本ラグビー全体がこの大会に向かってジェイミーの言う“ONE TEAM”になったこと――「献身」的に支えてきたラガーマンたちのパスがつながってきたからだと思います。

「トップリーグ」設立――宿澤広朗の奔走

 少し前になりますが、振り返ってみると大きかったのが、2003年の「トップリーグ」の立ち上げです。それまでラグビーの社会人リーグは関東、関西、九州に3つに分かれていました。それを初めて全国統一したのが「トップリーグ」だったのです。