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「霊安室で握った妹の手の温かさが妙に気持ち悪くて…」養父と実の母から壮絶な虐待を受けて4歳の妹を失った男性が語る、今も忘れられない“感覚”とは

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「妹はたった1つの飴玉のために死にました。普段から十分な食事をもらえていなかった妹は空腹に耐えかねてこっそり飴玉をなめ、それに気づいた義父が激怒して妹の両足を持って力いっぱい振り回し、妹の頭を強くタンスにぶつけたんです。妹は病院に搬送されたものの、3日後に息を引き取りました。まだ4歳でした」

 過酷な“虐待”の記憶を語るのは、20代半ばの男性、原田亮太さん(仮名)。亮太さんは9歳の頃まで、5歳年下の妹だった百合ちゃん(仮名)とともに両親から虐待を受けていた。実の母親と義理の父親から日常的に殴る蹴るといった暴行を受け、食事も満足に与えられなかった。そして最後には、妹はかけがえのない命を落としてしまった。

幼少期の過酷な虐待体験を語る原田亮太さん(仮名)

 事件後すぐに義父は傷害致死の容疑で逮捕され、翌年には実刑判決を受けている。しかし、亮太さんには今も虐待の記憶と癒えない傷が残されているという。約5年間にわたる壮絶な虐待を生き抜いた亮太さんが、“虐待サバイバー”としてその過酷すぎる半生を語った。

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「教科書をちぎって食べたり、トイレの水を飲んでいました」

 亮太さんの両親は幼いころに離婚し、亮太さんは母親に引き取られた。5歳の頃に、母親が年下の男性と再婚。“地獄”が始まったのはそれからだった。

「義父は母と交際を始めた頃から、僕の顔を湯船に沈めたりするようになりました。まだ4、5歳だった僕はその意味がわからず“遊び”の一種と受け止めていましたが、今考えれば明らかに虐待だったとわかります。

 母と義父が再婚してからは毎日が地獄のようでした。殴る蹴るは当たり前、ご飯も水ももらえずに何日も放置されたことも一度や二度ではありません。学校がある時は少なくとも給食は食べられるのでまだ耐えられるのですが、夏休みなどの期間は教科書をちぎって食べたり、トイレの水を飲んでいました。そうでもしなければとっくに餓死していたと思います」

写真はイメージです ©iStock.com

 再婚からまもなく、亮太さんの母と義父の間には3人の娘が生まれた。その中で最初に生まれたのが百合ちゃんで、亮太さんにとって最も年の近い妹だった。そしてなぜか、4人の兄妹の中で亮太さんと百合ちゃんだけが攻撃の“ターゲット”に選ばれた。

 義父からの暴力があまりに日常的だったため具体的な虐待行為はほとんど覚えていないと亮太さんは言ったが、しばらく黙り込んだ後、当時の記憶をぽつぽつと語り出した。

「そういえば、家の柱に縛りつけられたことがありました。母と義父が買い物に出かける間、家から逃げないようにという理由だったと思います。身動きが取れない状態で親が帰ってくるまで6時間その状態で放置され、当然トイレにも行けず、我慢できずにおしっこを漏らしてしまいました。帰ってきた両親はそれを見て『汚ねえ』と言い、殴る蹴るの“お仕置き”を加えました」