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もともと友好関係にあったのは巨人…なぜ中日・星野監督は『ドジャース型ユニフォーム』を採用することができたのか

2023年12月19日 10時43分

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◇記者コラム・人生流し打ち
ドジャースに移籍した大谷翔平が中日ドラゴンズにスポットを当てた。いま話題の酷似ユニフォーム。仕掛けたのは当時の星野仙一監督で、就任1年目の1987年4月10日の開幕巨人戦(後楽園)、グレーのビジター用ユニフォームに身を包んだ選手が登場するとスタンドがわいた。

波留、立浪、荒木を迎える星野監督(中央)=2001年08月17日、ナゴヤドーム で

 「どうだ。最高だろう。捕れないボールが捕れそうだし、打てないボールが打てそうじゃないか」。当日、星野監督はそう自画自賛した。
 前任の山内一弘監督が途中休養するなど低迷するチームの再建を託された星野監督にとって、ロッテの落合獲得だけでなくこのビジュアル戦略も改革の軸だった。当日はサイドラインが入った旧来のユニフォームで練習し、試合直前に着替えて登場する奇策まで立てたが、連盟の許可が下りなかったそうだ。
 ファンの目をひきつけ、選手をその気にさせるのが目的。ヤンキースと並ぶ名門で、チームカラーも青でロゴも似ていることからドジャース型ユニフォームはおあつらえ向きだったわけだ。特に14日の広島戦(ナゴヤ球場)でデビューした白を基調にしたホーム用は丸パクリといわれても仕方がないほど。それでもドジャースのオマリー会長に了解をとっていたから何の問題もなかった。2人をつないだのはオマリー氏の片腕だったアイク生原会長補佐。そのアイクさんは元アナウンサーの越智正典さんが引き合わせたと聞いた。
 もともとドジャースと友好関係にあったのは巨人で、星野監督はそこに割って入った。人脈を通じてオマリー会長の懐に飛び込み、翌年にはフロリダのドジャータウンでの春季キャンプを実現させた。打倒巨人を旗印に掲げてきた男にとって、この強奪劇も目的のひとつだった。
 両球団が交流を深めると2つの誤算が起きた。中日から野球留学を受け入れる話が持ち上がり、当時は戦力と考えていなかった山本昌を派遣したところ大化け。うれしい誤算となった。
 もうひとつはドジャースの3Aにいたブライアントで、当たれば飛ぶが三振が多く、処遇に困ったドジャース側から獲得を打診されたのが発端だった。ただ外国人枠の関係で中日も1軍に上げられなかった。そこに薬物事件で主力の外国人選手が逮捕され、困った近鉄が声をかけ、移籍後に大化けしてしまった。こちらは悔しい誤算だった。
 「その話はするな!」
 近鉄で大活躍するブライアントの話を振ると、たちどころに星野監督の機嫌は悪くなり、筆者は閉口したものだ。
 数奇な運命もあったが、ドジャースが中日だけでなく日本球界の歴史に与えた影響は大きかったと思う。(増田護)
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