中日のエースとして鳴らした星野仙一氏が4日に膵臓がんのため70歳で死去した。現役引退後の中日、阪神、楽天監督時代は鉄拳制裁が代名詞で、選手に手を上げることもあったが、肉親さながらの愛情、情熱に裏打ちされ、人生の恩師と慕う教え子が多い。縁の深いまな弟子、担当記者らが、その実像を明かす。まずは中日、楽天で星野監督の下で主砲を務めた、山崎武司氏(49)が闘将の厳しい指導とビンタを振り返る。
「おい、春のキャンプまでに20キロやせてこい。そうでなければユニホームを着させんぞ」
星野監督にこんなむちゃなノルマを課されたのは、中日第2次政権スタート直後の1995年11月末、秋季キャンプ終了時だった。翌年2月の春季キャンプ開始までわずか2カ月。「無理に決まっとるわい」と思ったが、「おれは本気だからな!」と念を押されてしまった。
さあ大変だ。当時僕の体重は110キロ。食事では炭水化物を一切とらず、おかずをちょろっと食べるだけで腹3分目。エアロバイクをこぎ、サウナに入り、ボクサーのような生活を送った。
体力が落ち、2カ月間に3度風邪をひいて熱を出したが、3度目は風邪をひけば自然に体重が落ちると思って、わざと引いたようなものだった。結局ノルマを上回る22キロ減の88キロでキャンプインを迎えた。頬がこけて、周囲から「病気じゃないのか」といわれたよ。