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イギリス人はなぜドイツが好きなのか EU離脱しても変わらぬ愛情

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
相場郁朗撮影

英国人のドイツ愛は昔から根強い。言語が縁戚関係にあるほかエリザベス女王のウィンザー家がドイツ中部にルーツを持つことも理由の一つかもしれない。英国支配階級は二つの大戦で味方だったフランスよりも2回も敵に回したドイツに親近感を寄せ、第2次世界大戦勃発ぎりぎりまで彼らが娘たちを「花嫁修業」としてドイツに留学させていた事実もある。彼らの心のうちでは、どこの馬の骨とも知れないヒトラーを胡散臭く思う度合いよりも、ドイツ文化を敬愛する度合いがまさっていたのだ。

という昔話はさておき、本書『Why the Germans Do it Better』(なぜドイツ人はうまくやれるのか)はタイトルからしてやけに低姿勢だが、副題の『大人の国からの報告書』にいたっては感無量である。われわれ日本人は英国こそが大人の国だと思っていたが、彼ら自身はドイツをそう見なすにいたったのか。ここ数年ロンドンの書店ではドイツの再認識を促す本が目立つ。その背後にはブレグジット(EU離脱)を悔やむ心情、新自由主義経済に対する忌避感、落ち着いた政治家へのあこがれ、そしてコロナ禍への対処の相違(ドイツの方が科学的だった)がある。

現代ドイツの諸側面を七つの章に分けた本書の著者はもともとデイリーテレグラフ紙の最後の東ドイツ特派員ということもあり、東西ドイツの統合前後の経緯(東ドイツからやってきたメルケルの横顔も特に)は読み応えがある。そのきっかけとなった1989年ベルリンの壁の崩壊と、シリア人流入で目立った2015年の難民危機などを著者は戦後ドイツの重要な通過点と位置づける。これらに勇猛果敢に着手し着実に乗り切ってきたドイツのやり方を、著者はlangsam aber sicher(ゆっくりと、しかし確実に)と形容する。それがドイツの美点であり強みであると。確かにそうした特質は現在の英国に欠落している。著者の結論を抄訳で紹介しておこう。

「ドイツはナショナリズム、反啓蒙、恐怖が跋扈(ばっこ)する時代のヨーロッパにおける最善の希望である。(中略)誰がヨーロッパ的価値を代表し得るだろう? 誰が権威主義的体制に立ち向かうことができるだろう? 誰が自由民主主義の旗手たりえるだろうか? ドイツにはできる。なぜなら彼らは歴史の教訓を忘れたときに何が起きるか熟知しているからである」

■ゾルゲの愛人だった女性スパイの一生

スパイ物のノンフィクションを書かせたら右に出る者のいないベン・マッキンタイアー。前作の『The Spy and the Traitor』(『KGBの男』小林朋則訳・中央公論新社)は素晴らしかったけれど、個人的には本書『Agent Sonya』の方により魅力を感じた。

めったに取りあげられない女性スパイが主人公という目新しさもあるが、副題をつける権限をもらったらもう迷いなく『女の一生』としたいくらいで、それほどに主人公のユダヤ系ドイツ人女性、ウルスラ・クチンスキー(コード名、ソーニャ)の生涯が面白く描けている。とりわけ、主婦であり子ども(最終的には3人)を育てながら世界を飛び回ってスパイ活動をするという育児と職業の両立ぶりには頭が下がり、スパイ活動のかたわら3人の夫ないしはパートナーを転々と替え、3人の子どもたちも全員父親が違うという快挙にはため息が出る。愛人の数はそれを凌駕し、日本人読者として興味をそそられるのは、あのゾルゲ事件のリヒャルト・ゾルゲが来日する前の上海で彼女の愛人だったという、その辺りの描写である。

裕福なユダヤ人家庭に生まれたウルスラは共産主義思想に惹かれて地元ドイツで活動を始めるが、ナチスの台頭とともにユダヤ人で共産主義者の彼女は生命の危険を感じ、中国に活動の場を求めて夫の建築家ルディと一緒に上海へ渡る。ルディというのは左派思想の持ち主だが共産主義には抵抗を感じている。本格的にソ連の諜報部隊に雇われた彼女は、そうした夫との生活に限界を感じ、100%共産主義者の他の男性に惹かれ、夫黙認の不倫を繰り返す。その一人がゾルゲであり、別の一人が彼女の2番目の子どもの父親である。

その後日本軍進駐下の満州で活躍したり、モスクワでスパイ上級トレーニングを受けたり、スイス・ジュネーヴを拠点にナチス・ドイツへスパイを送り込んだりする。そのとき部下として英国青年2人がつけられたが、その片方のレンが3人目の夫となる。中立国スイスに住んでいるとはいえ、ドイツ国籍ユダヤ人という立場は危険だった。英国人夫との結婚を機会に英国パスポートを取得した彼女は終戦前にオックスフォードへ移住する。住処は英国の軍事目的核開発研究機関の近く。ここで彼女はソ連スパイとしての最後の勤め、英国の核開発資料のモスクワへの横流しを開始し、1949年に行われたソ連初の核実験の成功に寄与することになる。彼女の活動に疑義を抱いたMI5(英国保安局)の追及をかわして、最終的には東ベルリンへ高飛びし、東西ドイツ統一後の2000年に93歳で死ぬ。

今年のベスト・ノンフィクションに推したい一冊。

■元ナチ高官をめぐる謎を解く

勅選法廷弁護士、国際法弁護士、ロンドン大学法学部教授である著者は2016年の『East West Street』(拙訳『ニュルンベルク合流』白水社)でベストセラー作家の仲間入りをし、それを契機にイングランド・ペンクラブ会長に任命された。本書『The Ratline』はその続編で、またしてもベストセラー入り。

第2次大戦中のユダヤ人虐殺の責任者たるナチ高官にハンス・フランクとオットー・ヴェヒターがいた。前者はニュルンベルク裁判で死刑になったが後者は終戦とともに家族を残して行方不明。前作執筆の際、著者はそれぞれの息子(ニクラス・フランクとホルスト・ヴェヒター)と親しくなった。2人はともにナチ高官の息子だが、ニクラスが父親の犯罪を憎み糾弾する一方、ホルストは父親の無実を主張してやまない。

本書は著者がホルストとの奇妙な友情を通してヴェヒター家の資料に分け入り、世界中を駆け巡って関係者にインタビューし、各地の公文書を漁ってオットー・ヴェヒターの謎を解いた傑作である。息子の主張に反してオットーの有罪は間違いないが、終戦後数年間彼がアルプスに身を隠したあと、イタリア側へ下山してローマへ向かったのはなぜか、そこから南米への移住を計画していた彼がローマで突然死したのはなぜか。そしてなぜホルストは自分が6歳のときに逐電した父親の無実を信じ愛し続けることができるのか。

オットーがローマを目指したのは戦中戦後のヴァチカンにはナチの戦争犯罪人をかくまう教皇一派がいたからで、本書のタイトルの『ラットライン』というのも、ローマ経由で南米へ逃避するお定まりの逃走経路の俗称である。だが上述のようにオットーはローマ滞在中に不審な死を遂げる。著者はこの謎解きのために、オットーが死んだローマの病院を訪れたり、関係者インタビューのためにアメリカへ飛んだりする。この謎解きと負けず劣らず興味深いのは、オットーがオーストリアに残してきた妻シャーロットとの秘密の交信であり、心底ヒトラーを信奉していた根っからのナチ党員夫婦の欺瞞と愛情が生々しくうかがえる点である。心根優しい息子ホルストが、世間の糾弾に抗って戦争犯罪人たる父親オットーを理想化してきたのも、その欺瞞と愛情の結果と言える。

著者がアメリカへ飛んだのは、終戦直後のローマでCIAが活動していた形跡がありそれがオットーの謎につながっていると察知したからだが、ここから展開される秘密探偵さながらの著者の調査行は本書のもうひとつの山場だろう。まさかそんなことが!とおもわず叫んでしまいたくなる秘密がそこには隠されていた。

本書をドラマ化した番組をBBCのラジオ4で聞くことができる。この番組の成功で本書がベストセラーに入ったという面もある。

英国のベストセラー(ペーパーバック、ノンフィクション部門)

6月26日付The Times紙より

1 Why the Germans Do it Better: Notes from a Grown-Up Country

John Kampfner ジョン・カンプナー

疾風怒濤の歴史を経て大国の風格を得たドイツの履歴を点検する。

2 The Wild Silence

Raynor Winn レイナー・ウィン

ベストセラー“The Salt Path”―難病を抱えた夫との徒歩旅行の続編。

3 The White Ship: Conquest, Anarchy and the Wrecking of Henry I’s Dream

Charles Spencer チャールズ・スペンサー

12世紀、ヘンリー1世の後継者を乗せた船の沈没。国の運命を変えた海難史。

4 Agent Sonya

Ben Macintyre ベン・マッキンタイアー

ドイツ生まれのユダヤ人主婦がソ連のスパイとなって核の秘密をモスクワへ。

5 Pandora’s Jar: Women in the Greek Myths

Natalie Haynes ナタリー・ヘインズ

男の失敗を被り、男の犠牲になってきたギリシャ悲劇のヒロインたちの復権。

6 Humankind

Rutger Bregman ルトガー・ブレグマン

『隷属なき道』でベーシックインカムの効果を説いた著者の性善説論。

7 Fake Law: The Truth About Justice in an Age of Lies

The Secret Barrister 匿名法廷弁護士

現役法廷弁護士が、素人をあざむく司法界の愚かさと悪意と無能を暴く。

8 The Ratline

Philippe Sands フィリップ・サンズ

ニュルンベルク裁判から逃げおおせたナチ幹部、ローマに死す。

9 The Shortest History of England

James Hawes ジェームズ・ハウズ

イングランド史をさまざまな断層(地理・言語・宗教)をてこに分析する。

10 How to Make the World Add Up

Tim Harford ティム・ハーフォード

統計データにだまされないための接し方、心構えを説くガイドブック。