画像は31年間、赤いユニホームに袖を通し続けた水本二軍監督、指導者としては若手や再調整する選手にその視線を送り続けた
ひろスポ!が11月9日にアップした以下の記事…
2000本安打の坂本と丸のコンビや本塁打王目前の岡本を指導する2413安打の石井琢朗コーチ、広島の人材流出今年も、今度はあの人…
hirospo.com/pickup/69282.html
…で取り上げた広島の水本勝己前二軍監督がオリックス一軍ヘッドコーチに就任する。一部スポーツ紙を除く各紙が一斉に報じた。すでにスポニチなどでは同氏のオリックス入りを記事にしていた。
プロ野球ファンでも広島以外の人にはあまり馴染みのないかもしれない。しかし2016年から18年までの広島のリーグ3連覇を二軍監督として”後方支援”した功績が光る。支援なしに前線は戦えない。
一軍試合出場ゼロ、文字通り広島の地で(ブルペン捕手という裏方的な土壌で)芽を出し根を張り、やがて大きな実(ウエスタン・リーグ優勝と球団初のファーム選手権V)をつけた水本前二軍監督は、2年連続最下位というオリックスの”荒れた”土地にまた新たな種を撒く。
その原点は、1991年シーズンをもってわずか2年で現役を引退した後、背番号100つけピッチャーの球を受け続けたブルペン捕手時代にある。
1994年シーズンより二軍監督から一軍監督に昇格した三村敏之氏は、スコアラーや個々のスタッフの役割も重要視した。その中に水本ブルペン捕手も加わり、幅広い視点で現場と向き合うことになった。
2009年11月、61歳の若さで亡くなった三村敏之氏も、きっと今回の”栄転”を喜んでいることだろう。
なお、水本前二軍監督は1989年ドラフト外入団で、1位が佐々岡監督だった。
要するに水本前二軍監督は佐々岡監督のボールを誰よりもよく知っている。ということは佐々岡監督のことなら何でも知っている。
そんな”名コンビ”での一、二軍監督としてのシーズンは、残念ながら今季限りで終わりとなった。
次は、ふたりが交流戦で、そして近い将来、日本シリーズで戦うことになる。これほどコイ、否濃いエピソードはない。(ひろスポ!・田辺一球)
※水本勝己(みずもと・かつみ)1968年10月1日生まれ、岡山県出身、52歳。倉敷工、松下電器を経て、89年ドラフト外で広島入団。91年までの現役2年間での実績はウエスタン・リーグ39試合37打数5安打。引退後はブルペン捕手を務め、マーティ・ブラウン監督の時、2007年シーズン途中からブルペンコーチ補佐。さらに野村謙二郎監督の時、2011年から三軍統括コーチ、同じく2013年からは二軍バッテリーコーチを歴任し、2016年に二軍監督就任した。広島で”実働”31年。翌17年に1991年以来26年ぶりのウエスタン・リーグ優勝と初のファーム日本一。1991年の二軍優勝監督は三村敏之。