ルーキー原辰徳の華 多摩川キャンプにファン1万人と警察官15人&パトカー3台

スポーツ報知
1981年1月15日、多摩川グラウンドでのキャンプで多くのファンに囲まれる原辰徳

 スポーツ報知に残る膨大な取材フィルムの中から、球団創設90周年を迎えた巨人の名シーンを本紙カメラマンが振り返る写真企画「瞬間の記憶」。第4回は1981年、現役引退したONを引き継ぐように華々しくデビューした原辰徳です。

 殺到するファンの人波にもまれ、ルーキー・原辰徳は困惑していた。1月中旬に多摩川河川敷グラウンドで行われていた多摩川キャンプの練習後での一コマだ。祝日で1万人のファンが集まり、当時の報知新聞によると警察官15人とパトカー3台が出動。隣のグラウンドにもファンが乱入し、本人の「人の壁と報道陣ばかりで、(多摩川グラウンドらしいところが)何も見えませんでした」というコメントとともに混乱ぶりを伝えている。

 「すごかった。多摩川にあれだけ人が集まった記憶があるのは定岡、江川、原だけれど、原の時は本当に半端じゃなかった」と振り返るのは、04年まで約40年間巨人を取材したOBの中山広亮(83)。王貞治が前年で現役引退し、ファンが新たなヒーローを求めていたのも重なったが、「ファインダーをのぞいていると、彼の所だけひときわ明るく見えるんだ。苦しいときでも笑顔でね、長嶋茂雄と一緒。この選手はスターだと思ったね」。持っていたのは華やかさだけではなかった。

 宮崎キャンプでは藤田監督が原のポジションに頭を悩ませていた。三塁の中畑は外せないため、篠塚が守っていた二塁手でデビュー。しかし、中畑は5月4日の試合中に故障し、急きょ原が三塁に入った。中山は中畑が漏らした言葉を覚えている。「サード原ってアナウンスされた時に、後楽園にものすごい声援が起こってね。その時のことを中畑が『お客さんの反応を聞いて、俺はダメだと思った。サードを原に譲ろうと思った』と振り返っていた。何か持って生まれたツキもあるんだろうね」

 4月4日の中日との開幕戦で牛島から初安打、翌2戦目で小松から右翼にプロ1号。「三塁から撮っていたから顔が見えなくてね。でも剛速球の小松から打ったから、すごい打者だと思ったよ」。22日には父・貢さん(故人)の地元が近い北九州で行われた大洋戦で初サヨナラ打を放ち、興奮したファンがグラウンドに乱入してきたことを強烈に覚えているという。「この3試合は忘れられない。1年目は特別だった」。多くのG戦士を見てきた中山が思い出深い選手として、ON、中畑、定岡、松井、堀内とともに挙げた原。ファンの期待を背負ってスター街道を一気に駆け上がっていった。

 ◆1981年の巨人 長嶋監督から代わった藤田監督の1年目、4月こそ2位で終えたものの5月から首位を独走してリーグ優勝。日本ハムとの日本シリーズも制して73年のV9以来の日本一となる。江川が20勝(6敗)を挙げて最多勝利、最多奪三振など総なめしてMVP、22本塁打の原が新人王を獲得した。

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