近年、子どものより良い教育環境を求めて地方や海外へ移住する「教育移住」に注目が集まっている。母子4人でタイに教育移住した日本人女性に、その経緯や、現地で直面した日本語教育の悩みについて話を聞いた。

「我が子の居場所作りをしたい」

バンコク在住のひろさんは、3人の息子をもつシングルマザー。2019年9月に母子でタイへ教育移住した。15歳の長男、8歳の次男、7歳の三男は皆、現地のインターナショナルスクールに通っている。

ひろさんの息子が通うインターナショナルスクールの風景。広い空間で園児たちがのびのびと過ごす(ひろさん提供)

彼女が教育移住を決めたのは、「子どもの居場所作りをしたい」という思いからだった。

「三男が2歳を過ぎたころ、癇癪トラブルが頻発して、発達障害の傾向があることが分かりました。そこで日本式の園からモンテッソーリ教育(児童発達支援のために開発された教育法)を実践している幼稚園に転園したところ、驚くほど表情が豊かになったんです」

ひろさんは我が子の生まれもった感性や知的好奇心を最大限に育むべく、モンテッソーリ教育を継続したいと考えた。だが日本の小学校では、その選択肢がほとんどない。

タイ北部のペッチャブーン県にある仏教寺院「ワット・プラタート・パーソーンケーオ」にて(ひろさん提供)

悩んだ末、家族からの提案や援助を受けて、母子でのタイ移住を決めた。覚悟を後押ししたのは、ひろさん自身が幼少期から抱えてきた生きづらさだったという。

「実は私もアスペルガー症候群のグレーゾーンで、マイノリティとして苦労が多い人生でした。我が子には自尊心高く生きてほしくて、できる限りを尽くしたかったんです」

移住先をタイに決めたワケ

だが、なぜひろさんはタイを選んだのだろうか?

「バンコクはオルタナティブ教育を取り入れたインター校が充実しています。日本人が多いので日本のモノが手に入りやすく、日本人の友達も作れます。親日ですし、多民族国家ならではの多様性もあって、人種差別のリスクが低いことも魅力でした」

ひろさん手作りのお節料理。バンコクのスーパーでは日本の食材が手に入りやすい(ひろさん提供)

タイに移住して3年が経った今、息子たちが川でゾウと戯れる写真を眺めながら、「彼らもすっかり現地の生活に馴染みました」と目を細める。

「タイは住みやすくて人も優しいし、とっても素敵な国です。実生活ではメイド文化もワンオペ育児の私にとって大きな支えになっています」

タイ北部チェンマイでゾウと触れ合う子どもたち(ひろさん提供)

一方で、「移住を決断した責任の重さは常に感じている」と、親としての複雑な心境も吐露する。

「コロナ禍で長期のオンライン学習が続いたときは、『子どもの人生を振り回しているのでは?』とすごく悩みました。でも正解はわからないし、短期目線ではなく数十年先の未来を見据えて踏ん張りましたね」

立ちはだかる「継承語教育」の壁

タイでの育児に奮闘するひろさんが直面した最大の壁が、英語と日本語習得との両立だった。学校の授業は基本的にすべて英語で行われる。

「最初は子どもたちの英語の伸び悩みに焦っていたんです。でも1年経つと、3人とも英語力が飛躍的に伸びて驚きました。ホッとして喜んだのも束の間、今度は彼らの日本語がおかしいことに気付いたんです」

タイ南部のビーチリゾート「クラビ」へ家族旅行(ひろさん提供)

家庭の会話では「ママ、今日のクラスでティーチャーがね、……」と2言語がごちゃ混ぜになり、日本語の言葉選びのつまずきも増えた。

ひろさんのなかに「このままでは私とのコミュニケーションにすら支障をきたすかも…」という危機感が芽生えた。

そこで彼女は、「私が子どもたちの日本語の先生になろう!」と決意。継承語(親から受け継いだ言葉)の教育に興味を持ち、「こども日本語指導者養成講座」を受けて資格を取得した。

AJLC(一般社団法人国際こども日本語教育協会)のオリジナル教材にひろさんのアレンジを加えたもの。幼児でもイメージしやすいイラストを効果的に使い、「助詞」の使い方を学ぶ(ひろさん提供)

「海外で育つ子どもが継承語を習得するには、親のサポートが必要不可欠だと思います。うちでは母語(第一言語)を英語、母国語を日本語と割り切りました。そのギャップをできるだけ家庭で埋められるように、子どもの感情や思考を日本語に紐づける訓練をしています」

母国語で自走できるまでサポート

現在ひろさんは「子ども日本語ラボ」というサークルを運営し、継承語としての日本語教育に課題を抱えるタイ在住家庭にサポートを行っている。

「タイには長期の駐在員家庭や国際結婚家庭など、私と同じような悩みや葛藤を抱える親御さんが多くいらっしゃいます。同じ立場同士で繋がって、励まし合い、ママやパパの頑張りすぎを少しでも軽減したいです」

AJLCの教材を利用してひろさんが手作りした継承語特化の教材。絵を見ながら「1本」「1匹」「1個」などの助数詞を学ぶ(ひろさん提供)

サークル活動では、日本の文化を取り入れたオリジナル教材や理科実験、ロールプレイなどを通じ、子どもたちが楽しく日本語が学べるように工夫が凝らされている。

「私、学びを通して子どもたちの世界が広がる瞬間が大好きなんです」と笑う彼女が目指すのは、日本の大学入試まで指導ができる日本語教師だ。通信制の大学に通いながら、教員免許の取得に向けて日々勉強に励んでいる。

バンコクで開催された女性向けのキャリアセミナーにてひろさんが登壇。コロナ禍での海外子育てやキャリア形成について経験談を話した(ひろさん提供)

「外国で育つ子どもにとって、ルーツの言語習得はアイデンティティ形成においても大切なはず。悩みは尽きませんが、将来我が子が自立したときに、自分の居場所を選べるだけの日本語力が身に付くまで、全力でサポートしていきます」

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