参道脇の露店も初詣の楽しみのひとつ(写真はイメージです)

(廣末登・ノンフィクション作家)

 今年の正月三が日、神社の初詣に参拝された方も多いのではないだろうか。正月の除夜の鐘の音は、われわれ日本人の魂に響きわたり、IT化された現代社会にあっても、個々人の内にある日本文化の琴線に触れる何かを刺激するようである。

 初詣の参拝は、老いも若きも何がしかの願いを賽銭に込め、投擲後は一心に祈っている。横あいからヒョイと投げ込めばよいものを、寒い中、信心深い人たちは正直に何時間も参道に順番を待っている。願い事といえば、学生は志望校の合格かもしれない。若い男女は、恋路の行方が吉であるように祈っているのだろう。筆者の歳ともなると、賽銭箱の横あいから賽銭を投げ込み、今年も無病息災でモノ書きができるようにと祈るくらいが関の山である。

 もうひとつ、正月に参拝する駄賃というか、ささやかな楽しみは、参道の両脇に店を構える露天であろう。筆者なども例に漏れず、一本500円のジャンボ焼き鳥を買い込み、ヤチャ(茶屋)の丸テーブルに陣取って、熱いのを一献傾けることが恒例行事である。

ヤチャ(茶屋)での一休みは参拝の際のささやかな楽しみ(写真:筆者提供)

 読者の皆さんも、子ども時代は、願い事もソコソコに、その日に貰ったお年玉を握りしめ、アメリカン・ドッグや、たこ焼きの露店を襲撃し、腹八分になると、金魚すくいや射的に興じた思い出があると思う。ちなみに、射的は、コルクが命中しても、標的がフラフラしながら、惜しいところで倒れず悔しい思いをしたのではないだろうか。

 幼児を連れた夫婦ものも、綿あめを子どもに握らせ、「やれやれ疲れた」などと言いながら、細君と仲良く、焼き鳥や、お好み焼きをつつきながら昼間から一杯やっている。この日ばかりは、日本国中どこに行っても無礼講の塩梅である。そして、お日様が西に深く傾くと、露天の照明は夢幻的に神社の参道を照らし、独特の雰囲気が漂う。まこと、ここは、すべての日本人が、心の奥底に宿す原風景ではないかと、筆者は思うのである。

テキヤ稼業

 昭和の時代、正月のお茶の間映画といえば、松竹映画の『男はつらいよ』であった。渥美清が演じる主人公の寅さんは、テキヤで一本の稼業人(親分を持たない旅人)である。