神戸

  • 印刷
発掘調査で見つかった史料の展示再現されている石垣の一部=神戸市兵庫区中之島2
拡大
発掘調査で見つかった史料の展示再現されている石垣の一部=神戸市兵庫区中之島2
発掘調査で見つかった史料の展示=神戸市兵庫区中之島2
拡大
発掘調査で見つかった史料の展示=神戸市兵庫区中之島2
発掘調査で見つかった兵庫城の遺構。現在はこの上にイオンモールが立つ=神戸市兵庫区中之島2(神戸市文化財課提供、2015年1月ごろ撮影)
拡大
発掘調査で見つかった兵庫城の遺構。現在はこの上にイオンモールが立つ=神戸市兵庫区中之島2(神戸市文化財課提供、2015年1月ごろ撮影)

■イオンの下に眠る石垣、町屋跡

 兵庫津(ひょうごのつ)(現在の神戸市兵庫区南部)はかつて城下町として整備されたことがあり、織田信長や豊臣秀吉とも深い関係があった-。

 そう教わった時、真っ先に頭によぎったのは「肝心の城跡がないやん」ということだった。せめて石垣くらいは残っていないものか。

 「残念ながらほとんど目にすることはできません。城ができてから修築のたびに規模が小さくなり、明治時代に運河ができた時、城跡も壊されました」。郷土史に詳しい兵庫県地域振興課の山下史朗さんは言う。

 少し信じられないが、イオンモールや中央卸売市場を訪れる際にいつも目にする兵庫運河。あの辺りに城があったらしい。

 兵庫城は1581年、織田信長の家臣の池田恒興(つねおき)が築城した。その後は豊臣秀吉の直轄領になるなど、天下統一を目指した人物の拠点の一つとなったのが兵庫城というから驚きだ。

 「信長は合理的な考え方の持ち主で、水上交通の利便性をよく知っていたため、兵庫津で城下町を整備したのでしょう。結局一度も来なかったようですが、城内には信長用の居室があったともいわれています」

 そんな兵庫城も、遺構が全くないため「幻の城」と呼ばれていた。ただ、神戸市中央卸売市場の移転に伴う発掘調査で、2012年に石垣などの大規模な遺構が見つかった。

 「そりゃ、驚きましたよ。しかも、400年以上前の石垣が予想以上にきれいに残り、築城当時の状況が分かったんですから」。普段は冷静な山下さんも興奮気味である。

 その後も、堀の跡や天守台があったと推定できる石垣、兵庫津の繁栄ぶりを示す町屋跡が次々と出土した。城の造りやまちのにぎわいが証明され、歴史ファンの間ではひとしきり話題になったようだ。

 これほどきれいに残っていたのは、城跡で大規模な土地開発が実施されなかったことや、元々海抜が低い場所に造られたため、取り壊されず土で埋められたことが大きいという。

 発掘調査を実施した卸売市場の跡地には17年、イオンモール神戸南がオープンした。周囲には石垣の一部が本物の出土品で再現され、店内には兵庫津遺跡の展示コーナーも。地下には調査を終えた大規模な遺構が、ほぼそのまま埋め戻し保存されているという。

 天下人の遺構、イオンの下に眠る-。

=随時掲載=

【バックナンバー】
(5)軍事色強い城下町 寺院は町の防御役
(4)室町幕府の日明貿易拠点 義満は兵庫が大好き
(3)平安の「山、海へ行く」、5万人動員し人工島築く
(2)港都神戸の原点 著名人の先祖ずらり
(1)神戸市章 二つの弧は二つの港?
【アーカイブ】
■布引編はこちら
■旧居留地編はこちら

神戸連載神戸てくてく神戸
神戸の最新
もっと見る
 

天気(5月22日)

  • 24℃
  • 15℃
  • 10%

  • 27℃
  • 11℃
  • 0%

  • 27℃
  • 15℃
  • 10%

  • 28℃
  • 13℃
  • 0%

お知らせ