デッキブラシで学校の通路を磨くセーラー服姿の女の子たち。ここは名古屋の私立の女学校で、ホースを持っている男性は教師だ。1938(昭和13)年1月号の特集「日本の働く女性たち」に掲載された。
授業が終わった後、生徒が机を後ろに下げて教室の床を掃いたり、廊下を拭いたりする校内清掃は、日本人には見慣れた風景だ。しかし、写真の説明には「授業を終えると、生徒は用務員になる」とある。米国の学校では、用務員が掃除するのが普通だからだろう。特集の筆者メアリー・A・ナースが何人かの生徒に掃除は好きかと尋ねると、みな口をそろえて「学校の規則ですから」と答えた。
学校を卒業した女子のなかにはデパートで働く者も多いと、ナースは書いている。たいていは洋風の制服に身を包み、婦人服や子供服、日用品など、さまざまな売り場で働く。東京のYMCAでは、デパートの店員たちが英語のクラスを受講していた。1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに備えて、英語を学ばなければならないのだという。しかし1938年7月、日中戦争の影響などにより、日本政府はオリンピックの開催権を返上することになった。
この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2020年12月号に掲載されたものです。