教会の改革と、貧しい人々への奉仕に力を入れるローマ教皇フランシスコ。その型破りな言動は、バチカンの守旧派に受け入れられるのか。

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バチカンは変わるか? ローマ教皇の挑戦

教会の改革と、貧しい人々への奉仕に力を入れるローマ教皇フランシスコ。その型破りな言動は、バチカンの守旧派に受け入れられるのか。

文=ロバート・ドレイパー/写真=デイブ・ヨダー

 南米出身のローマ教皇が誕生するのは、これが初めてだ。イエズス会から教皇が選ばれるのも初めてなら、欧州出身でない教皇も過去1000年余り例がない。中世イタリアで貧者を救ったアッシジの聖フランシスコにちなんで、フランシスコと名乗った初の教皇でもある。

 2013年3月13日にコンクラーベが終わるとまもなく、ローマ教皇フランシスコとなったホルヘ・マリオ・ベルゴリオは伝統的な緋色のケープも赤い帯も着けずに、白一色の法衣姿でサンピエトロ大聖堂のバルコニーに現れ、どよめく観衆に驚くほどあっさりとイタリア語で挨拶した。
「兄弟姉妹の皆さま、こんばんは」
 大聖堂を去るときには、待ち受けていたリムジンを素通りし、ほかの枢機卿たちを送迎するバスに乗り込んだ。

 翌朝、滞在していたホテルの支払いを済ませると、教皇はバチカン宮殿内の公邸ではなく、バチカンの宿泊施設カサ・サンタマルタに向かった。歴代の教皇が使用してきた豪華な公邸ではなく、寝室が2室しかない住まいを選んだのだ。
 新教皇は初の記者会見で「貧しい人々のための質素な教会を目指す」と明言。キリストの最後の晩餐を記念する「主の晩餐のミサ」では、教皇が聖職者の足を洗うのが伝統だが、新教皇は少年院でミサを開き、ローマ教皇では史上初めて、少女とイスラム教徒を含む受刑者12人の足を洗った。これらはすべて、教皇の就任後1カ月以内に起きた出来事だ。

アルゼンチンからやって来た型破りな教皇

 ローマ教皇は一挙手一投足が注目される存在だが、友人たちの知るベルゴリオは実質的な成果を求める、港町ブエノスアイレス育ちのしたたかな人物だ。カトリック教会が、敵味方にかかわらず負傷者を受け入れる「野戦病院」のような存在になること、つまり人々の心のよりどころになることを、彼は望んでいた。

 新教皇のベルゴリオは、祖国アルゼンチンではよく知られた聖職者だった。イタリア出身の移民を父にもち、研究所の技師などの職を経て、1956年に20歳で神学校に入学すると、たちまち頭角を現した。

 恩師の一人フアン・カルロス・スカノーネ教授は、ベルゴリオを「宗教的な洞察力と政治的な手腕がひときわ優れた」学生だと評価した。軍事政権が国を支配する激動の時代にも、ベルゴリオは巧みなかじ取りでイエズス会内で地歩を固め、1992年に司教、1998年に大司教、2001年に枢機卿に叙階された。

 もともと内気なベルゴリオのささやかな楽しみは、文学とサッカーとタンゴ。パスタ料理のニョッキにも目がない。人柄は素朴だが生粋の都会人で、世相を見抜く鋭い観察眼をもつ。態度は控え目ながら生来の指導者であり、ここぞという好機をつかむ才もある。ベルゴリオが教皇に選ばれたのは、ただの偶然ではない。

※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2015年8月号でどうぞ。

編集者から

 バチカンに限らず、長い伝統や歴史のある組織を変えていくのは本当に大変なことでしょう。改革派も守旧派も納得できる解決策が見つかるのか。本文に書かれたローマ教皇の人物像を読むと、何かあっと驚くような策を打ち出してくれるのではないかと期待できます。今後の動きに注目したいと思います。
 それにしても、サンピエトロ大聖堂の内陣の写真は圧巻。これはパソコンの画面ではなく、ぜひ本誌のプリント版で見ていただきたいです。正直言って私はこれまでバチカンにそれほど興味がなく、行ったこともないのですが、この写真を見て「絶対に生で見てみたい!」と思いました。(編集T.F)

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