11世紀はヨーロッパでキリスト教が勢いを増した時代だった。ローマ教皇庁による教会の改革運動が各地に広がり、キリスト教徒たちはありがたい聖遺物を一目見ようと、ヨーロッパ全域を巡礼するようになる。
結果、ヨーロッパ各地をさまざまな人や思想、金が行きかうようになった。1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけで始まった第1回十字軍が、その勢いに拍車をかけた。(参考記事:「中世貴族も旅したヨーロッパの美しい街 25選」)
こうした変化とともに、ある新しい建築様式がヨーロッパに広まった。11世紀のクリュニー修道会の修道士であるラドゥルフス・グラベルの言葉を借りれば、キリスト教の土地が「教会の白いマント」をまとったかのように、よく似た特徴を持つ建物が巡礼路沿いに見られるようになる。
曲線的なアーチ、頑丈な石の柱、聖書の物語を題材にした豪華な装飾。後の歴史家たちに「ロマネスク(古代ローマ風)」と呼ばれた建築様式だ。基礎となっているのは古代ローマの建築様式「バシリカ」で、建物の構造や装飾には古代ローマの影響が見られるが、大聖堂などの聖なる空間の演出はキリスト教的であり、まさしくヨーロッパにおけるキリスト教の広がりを反映していた。(参考記事:「ナショジオが紹介した世界の聖地」)
エルサレム、ローマと並ぶ巡礼地に
ロマネスク様式の広がりと画一性の鍵を握っていたのが、先に書いたように、巡礼人気の高まりだ。ほとんどの巡礼者にとって、聖地エルサレムへの旅はあまりに困難すぎたが、ヨーロッパの中であればはるかに現実的だった。(参考記事:「ムスリムの国のヒンドゥー教徒、泥火山の聖地巡礼 写真28点」)
11世紀に人気を博した巡礼地の一つが、スペインの北西部にある聖ヤコブ(イエス・キリストの十二使徒の一人)の修道院である。言い伝えによれば、9世紀の隠者が、開けた田園地帯で聖ヤコブの墓を指し示す一筋の光を見たという。その場所に建てられた修道院は「サンクトゥス・ヤコブス(ラテン語で「聖ヤコブ」)・デ・キャンプス・ステラエ(「星の野」)」と呼ばれた。一説によると、これが現在の地名であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの由来だという。(参考記事:「トラベルフォト:巡礼者の告解」)
その後、ヨーロッパ全域からキリスト教徒がはるばる聖ヤコブの修道院を訪れるようになり、サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレムやローマと肩を並べるほど人気の巡礼地となってゆく。