馬の登場は、北米の大平原の暮らしを大きく変えた。先住民の人々にとって、馬は今も部族の伝統と誇りの証しで、かけがえのない心の友だ。

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馬と生きる 北米先住民

馬の登場は、北米の大平原の暮らしを大きく変えた。先住民の人々にとって、馬は今も部族の伝統と誇りの証しで、かけがえのない心の友だ。

文=デビッド・クアメン/写真=エリカ・ラーセン

 1874年9月28日、北米先住民のコマンチ族は運命の日を迎えた。強制移住に抵抗してきた戦士たちの最大の集団が、パロデュロ・キャニオンの野営地で陸軍に急襲されたのだ。
 襲撃を実行したのは、米国テキサス州西部に駐屯する第4騎兵連隊。マッケンジー大佐率いる騎兵たちは野営地を襲ってティピー(円錐形のテント)を焼き払い、奪取した馬1000頭以上を引き連れて再び集結した。

 このとき行われた馬の大量殺戮により、白人の侵入に抵抗してきた先住民の最後のよりどころが打ち砕かれたのだという。馬がなければ、移動も狩りも戦いもできない。族長のクアナも捕らえられた。
 これが後世に知られる、パロデュロ・キャニオンの悲劇である。

馬の登場で一変した部族間の勢力バランス

 相次いで行われた馬の大量殺戮により、コマンチ族の抵抗は打ち砕かれた。だが、大平原を支配した偉大な騎馬戦士の時代が終わった後も、北米の先住民と馬のつながりが絶えることはなかった。乗馬の技術はすでにほかの部族にも広まり、狩猟や戦闘、移動における馬の利用は大平原の南から北へ、コマンチやジュマノ、アパッチやナバホといった部族から、ポーニー、シャイアン、ラコタ、クロー、さらにその他の部族へと伝わっていった。

 馬は、北米先住民の暮らしを大きく変えた。バイソン狩りの効率が上がり、季節ごとの移動や他部族の襲撃といった活動の範囲も広がった。女たちは馬のおかげで、家財道具を運ぶ重労働から解放された。部族間の勢力バランスも馬の登場で大きく変わり、農耕を営む部族よりも、馬に乗り狩猟をする部族が有利になった。やがて馬は、それまで北米先住民が飼いならしていた唯一の動物だった犬に取って代わる地位を占めるようになった。

 現代の北米先住民にとっても、馬は大切な心の友だ。馬は誇りの対象、伝統の証しであり、武勇や修練、ほかの生き物への思いやり、世代を超えて受け継がれる技能など、祖先が重んじた価値を伝えてくれる。厳しい現代社会に生きる先住民の人々を支える、かけがえのない存在なのだ。

※ナショナル ジオグラフィック2014年3月号から一部抜粋したものです。

編集者から

 馬がもともと米大陸の原産だったとは、知りませんでした。一度は米大陸で絶滅した馬ですが、コロンブスによる“新大陸の発見”以降に再び上陸。銃を携え馬に乗った白人たちに、アステカ帝国やインカ帝国はまんまと征服されてしまいます。
 でも北米の大平原での展開は、ちょっと違っていました。白人がヨーロッパから持ち込んだ馬は、いつしか先住民にも普及し、裸馬も乗りこなす勇猛なインディアンの騎馬戦士たちが、短くも輝かしい黄金時代を迎えたのです。先住民が今も馬を愛する気持ちは、そんな部族の伝統や誇りと強く結びついているようで、なんだか胸が熱くなりました。(編集H.I)

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