リクビダートル、チェルノブイリ作業員

2011.04.27
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福島第一原発では、「フクシマ50」が懸命の復旧作業を続けている。25年前のチェルノブイリにも、事故と戦う作業員たちがいた。4月26日に25周年を迎えたチェルノブイリ原発事故では、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部に大量の放射性物質が降り注いだ。クリーンアップ作業には、発電所従業員、消防士、兵士、鉱山労働者、建設作業員、ボランティアらが多数従事した。

Photograph by Igor Kostin, Sygma/Corbis
 福島第一原発では、「フクシマ50」が懸命の復旧作業を続けている。25年前のチェルノブイリにも、事故と戦う作業員たちがいた。4月26日に25周年を迎えたチェルノブイリ原発事故では、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部に大量の放射性物質が降り注いだ。クリーンアップ作業には、発電所従業員、消防士、兵士、鉱山労働者、建設作業員、ボランティアらが多数従事した。 旧ソビエト連邦政府は彼らを「リクビダートル(後始末する人)」と称していた。だが、「歴史上最悪の非軍事的な放射能放出」の“後始末”は、影響を最小限にとどめる効果しかないことが当初から明らかだった。

 ピーク時には推定60万人の作業員が廃棄物処分場、水ろ過システム、爆発した4号炉を覆う“石棺”の建設などに参加。発電所関係者と避難住民用の住居や街の建設も手がけた。

 国際原子力機関(IAEA)によると、初期のクリーンアップ作業に従事したリクビダートル35万人の全身の放射線被曝量は平均100ミリシーベルト。胸部X線検査の約1000回分、原子力施設の作業員に許容される最大放射線量の約5倍に相当する。

 ソ連政府は防護服を十分に用意しなかったため、高レベルの放射線区域に入る作業員たちは各自で対策を工夫しなければならなかった。写真のとおり、被曝から体部を保護するのは、綿の作業着の上からかぶる厚さわずか2~4ミリの鉛シート製エプロンだけ。当局の発表によると、28人が急性放射線症で死亡、106人が治療を受けて回復したという。だが、生き残った作業員の健康被害については議論が続いている。支援団体「チェルノブイリ・ユニオン(Chernobyl Union)」によると、20万人のうち9万人が深刻な長期的健康問題を抱えているという。

 東日本大震災による福島第一の事故をきっかけに、原発事故処理の作業員が直面する危険に関して認識が改まり、関心が寄せられている(「フクシマ50」の作業員は数百人に及ぶ)。

 チェルノブイリ・ユニオン代表ヤチェスラフ・グリシン(Vyacheslav Grishin)氏は、25周年の前日にモスクワで開かれたリクビダートルの表彰式典で、「顧みられなかったわれわれが注目されている。フクシマ50の活躍のお陰だ」とAFP通信に語った。

Photograph by Igor Kostin, Sygma/Corbis
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