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世界一からスタートする、佐々木朗希の新たな一年

イチローが決勝タイムリーを打った、2009年WBCの記憶

WBCメダルと吉井監督、佐々木朗 (Medium)

日本代表の吉井理人・投手コーチ(千葉ロッテマリーンズ監督)とともにWBC優勝メダルを掲げる佐々木朗希

 世界一を決めた瞬間、グラウンドに飛び出した。仲間たちに抱きつき、喜んだ。佐々木朗希は侍ジャパンの一員として第5回WBC日本代表に選ばれ、世界一のメンバーの一人となった。その瞬間について佐々木朗希は「幸せでした」と振り返った。  WBC。佐々木朗希が記憶に残っているその大会の思い出は2009年の第2回大会となる。まだ本格的には野球を始めていない小学校1年生の時。野球チームに入っていた3学年上の兄と一緒にボールを投げたりはしていたが遊ぶ程度だったころのことだ。  学校が終わり、自宅に戻るとテレビがついていた。日本と韓国の決勝戦。手に汗握る展開で試合は終盤。「ただいま」と居間に顔を出すと家族はテレビに見入っていた。だから一緒になって見た。試合は日本1点リードの9回に同点に追いつかれ、延長に突入した。  10回表2死2、3塁。伝説のシーンが生まれる。それまで不調だったイチローが中前に勝ち越しタイムリー。その裏、ダルビッシュが締め、最後のアウトを奪うとガッツポーズを見せた。テレビを見ていた家族もみんなで喜んだ。小学校低学年ながら、その光景は鮮明に覚えている。だからメディアからWBCの覚えているシーンを聞かれると、必ず2009年の決勝と答えた。 「WBCといえばイチローさんが決勝点となるタイムリーを打った2009年の試合を見た記憶。そのイメージ。野球に対する憧れやイチローさんをはじめ選手の皆さんがカッコよく見えた」と佐々木朗希は小学校の時、偶然に目にした光景を今でも目に焼きつけていた。

人生初のマウンドは、小学校のグラウンドで1回中継ぎ登板

フロリダ州マイアミのローンデポ・パークで、準決勝メキシコ戦に先発する前の佐々木朗希と吉井投手コーチ

フロリダ州マイアミのローンデポ・パークで、準決勝メキシコ戦に先発する前の佐々木朗希と吉井投手コーチ

 人生とは本当に不思議なものである。月日は流れ、あの時の小学一年生は21歳になった。そしてあの時の以来の世界一となり、グラウンドで仲間たちと抱擁を繰り返していた。侍ジャパン鉄壁の先発ローテの一角として、チェコ戦と準決勝のメキシコ戦の2試合で先発をした。  佐々木朗希が先発したWBC準決勝のマウンドが、マイアミ・マーリンズの本拠地であるローンデポ・パーク。人生最初のマウンドは陸前高田市立米崎小学校のグラウンドだ。どこにでもある小学校のグラウンド。山間の小学校である。昨2022年11月に帰省した際、フッと吸い寄せられるようにたまたま立ち寄った。母校ではないが大事な原点。今でもあの日のことを鮮明に覚えていた。 「小学校3年生の時にボクが試合で人生最初に投げた場所です。今も忘れない。初めて打者と対戦した。投げる前はもちろん緊張していたのですけど、緊張以上にワクワクしていた。三者凡退で三振は一つ。あと一つはセカンドフライかセカンドゴロ。もう一つは覚えていないけど嬉しかったですね」と佐々木朗希は笑顔で語った。  先発ではなくて中継ぎ登板。だからバックネットの裏に作られたブルペンで仲間と一緒に準備をした。そして名前を呼ばれてマウンドへと向かった。1回を無失点。それが完全試合男のスタート地点であり原点。大事な原風景だ。そこから、そうそうたる名前が並ぶ侍ジャパンの先発ローテに名を連ねるまでになった。
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子供の頃は、華やかな賞とはまったく無縁だった
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千葉魂vol.8

どんな時もあきらめない。マリーンズ選手たちの素顔と挑戦の日々

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