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2006年オフ、イチローが王監督に
どうしても訊いておきたかったこと。

posted2019/08/30 11:30

 
2006年オフ、イチローが王監督にどうしても訊いておきたかったこと。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2006年、第1回WBCを制した王監督は、優勝セレモニーでイチローの腕を持ち、高々と天に掲げた。

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

photograph by

Naoya Sanuki

 2000年の渡米前から、2019年春の引退直後のロングインタビューまで。
 この20年で180回以上渡米し、100時間以上、イチローとの1対1のインタビューに臨んできたスポーツライター・石田雄太さんの集大成といえる一冊『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡 2000-2019』が現在発売中だ。収録された38編の珠玉のインタビューから、今回は2007年、開幕前に行われたロング・インタビューをお届けする。
 メジャーシーズン最多安打記録更新、WBC優勝。歴史を作った男の言葉には、今を生きる私たちに、数多くの示唆と勇気を与えてくれる――。
 

 イチローが有罪になった。

 といっても1年ちょっと前、古畑任三郎に逮捕された殺人罪の容疑ではない。イチローの容疑は、『似合わない服を着続けた罪』。判決が下されたのは2006年の5月、裁いたのはマリナーズの選手たちだった。

「だったら、アイツらの着ているおかしな服はあれでいいのかよ、と言いたくなりますね。どんなに正しいことでも、そう主張しているのが一人だけだと間違っていることにされてしまうって、おかしな話です」

 そもそもは冗談半分のカンガルー・コートでの話なのに、イチローは不機嫌そうにこぼしていた。カンガルー・コートとは私設裁判のことで、メジャーのチームのクラブハウスではけっこう頻繁に行われている。選手の“罪”を投票で募集し、その罪を裁判にかけて有罪か無罪かの判決を下し、罰金を徴収する。『似合わない服を着続けた罪』で有罪となったイチローは、100ドルの罰金を支払い、こんな捨て台詞を残した。

「たとえ1対99でも、どちらが正しいかは、明らかなんです」

自分の感じたままを信じ、貫く。

 イチローは、ずっとそうだ。

 世間が何と言おうと、大人がどう言い含めようと、自分の感じたままを信じ、貫いてきた。子どもの頃、なぜ手首を返さずに打つのかと大人に指摘されて、「だって誰よりも遠くへ飛ぶんだもん」と言ってのけ、他の誰とも違うのにその打ち方を変えようとはしなかった。

 プロに入ってからは、なぜ下半身主導で打たないのかと当時の球界の常識を半ば強制的に押しつけられながら、そんな打ち方では思うように打てないと反発。二軍に落とすなら落とせばいいと腹を括って、自らが築き上げてきたスタイルを守ろうとした。

 今でこそ野球人たちの市民権を得たイチローのバッティングは、彼が200本のヒットを打つ1994年までは明らかに異端だった。それでもイチローが我流を貫けたのは、流される必要がないほどの結果を残してきたからだ。

【次ページ】 渡米直前に駆け上がった114段の階段。

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