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突然だが、私はBL愛好家である。BLとはボーイズラブの略で、男性同性愛が描かれた作品のことを指し、書き手も読み手も大半は女性が占める。最近はBLを愛好する人も作品も増え、映像作品に有名俳優が出演するなどオープンに語られるようになってきたが、ひと昔前は一様に隠すべきもの、アンダーグラウンドなものとして扱われていた。
特に男性は、明確に「気持ち悪い」と嫌悪感を示してみせる人もいる。そのため比較的オープンになってきた今も、「パートナーにはBL趣味を隠している」という女性は多い。
そんななか、私がBL作品を読んだり書いたりすることについて、これまで付き合ってきた男性の誰よりも、夫は寛容である。
まだ付き合いたての頃、一人暮らしをしていた私の部屋で、彼は初めてBL漫画と出会った。
最初は「こんな世界があるのか」と驚き、「なんだこれ! 胸がどきどきする!」とジタバタしながら読んでいたが、次に会った時には「こういうシチュエーションって、BLに当てはまるかな?」と自ら問うてくるようになっていた。
結婚した今では、一緒にBL映画を見て感想を言い合ったり、私が趣味で書いている作品のネタ出しに付き合ってくれたり、おすすめの漫画を読んでくれたりしている。
「この人、なんでこんなに寛容なんだろう」と考えた時、要因のひとつとして頭に浮かんだのは、夫が長らくアーティストの吉井和哉を好きなことだった。
夫は、異性に恋愛感情や性的な感情を抱く、いわゆるヘテロセクシュアルに該当するが、吉井和哉のライブ映像を見て「かっこいい、抱かれたい」とつぶやく時、彼は吉井和哉をセクシーな目線でまなざしている。
要は「男性が男性をセクシーな目線で見ること」にポジティブなため、BLの世界観にスッとなじめたのではないかと思う。
旧来の「男らしさ」において、そのような目線は忌避されるものだが、彼はそうでもないようだ。
男性と女性が混在した状態を気楽に楽しもう
思えば、私たち夫婦はどちらもヘテロセクシュアルだが、それぞれのジェンダー/セクシュアリティー観なるものは、しばしば流動的になる。
夫はいわゆる「男性らしい趣味」とされるバイクやギターをたしなむし、ファッションも男くさい。一方でかわいらしいものが大好きで、私よりずっと細やかな心性を持っている。
私は花を飾るのが好きで、洋服やコスメもフェミニンなテイストのものが多く、いわゆる「女性らしさ」を感じさせる要素がある。一方で心性は非常にガサツで、小さい頃から周りの大人に「男みたいだな」と言われることも多かった。
私と夫の双方に、いわゆる「女性らしさ」「男性らしさ」とされるものが混在していて、その状態がもたらすコミュニケーションを楽しむのが、私たちらしいあり方かもしれない。
夫も私も、日頃の言動や服装に対して「女性らしい/らしくない」「男性らしい/らしくない」を逐一、意識しているわけではない。
ただ互いに、ひとりの人間として相手の面白いところやかっこいいところ、かわいらしいところを見つけて
「女性らしさ/男性らしさにとらわれずに生きていこう」という機運が高まる時代のなかでも、他者や自分に対してジェンダー役割を無理に当てはめ、誰かを、時には自分を攻撃する言葉を目にすることがある。
特にSNSでは「女性はこう」「男性はこう」という過激な言説が飛び交い、一方の性別を憎むかのような発言も多く見かける。
確かに生物学的な違いは明確にある。でも、すべての人が男性と女性どちらかの「らしさ」を100%満たしていることはなく、いわゆる「女性らしさ」「男性らしさ」のどちらもひとりの人の中にあって、配分がそれぞれ違うだけなのではないだろうか。
男性/女性ではなくひとりの人間として、目の前の人を見て接したほうが、相手にとっても自分にとっても楽しく暮らせるのではないか。そんなことを思って、夫がゲームセンターで苦労して取ってきたかわいいマスコットを見ながら、この原稿を書いている。(株式会社TENGA 国内マーケティング部 部長・西野芙美)