失われつつある、古きよき立石の風景

京成押上線が停車する京成立石駅の周辺は、昭和の雰囲気を色濃く残す商店がいくつも営業している。

アーケードのある南口の立石仲見世商店街は大衆酒場が集まっていることで有名だ。この商店街を中心として、立石は「せんべろの聖地」や「飲み歩きの聖地」などと呼ばれている。なお、この商店街には『丸忠かまぼこ店』というおでん種専門店も営業している。

新型コロナウイルスの影響で客足が遠のいたという話を聞いていたが、もつ焼きの有名店『宇ち多゛(うちだ)』では平日の午後2時でありながら常連客が列をなしていた。古くから営業するほかのお店も健在のようである。

お惣菜店や漬物店なども変わりがないようだ。世間話に花を咲かせる店員さんと常連客たちを眺めていると、現在失われつつある商店街のあたたかみを感じることができる。

その一方で、駅の北側は再開発の工事が着々と進められていた。2棟の高層ビルが建設され、2028年に完成するという。さらに、立石仲見世商店街のある南口も再開発が計画されているため、立石の雰囲気は様変わりすることだろう。

再開発を受けて、北口にある『木村屋豆腐店』も2023年3月に閉業するそうだ。慶応元年(1865)創業の老舗であり、とりわけ手づくりのがんもどきの味は格別だった。立石に訪れる機会があれば、お店が閉まる前にぜひ味わっていただきたい。

細部に宿る、できたておでんへのこだわり

『増田屋』(立石)は立石仲見世商店街を抜けた先、奥戸街道沿いで営業している。昭和9年(1934)に創業し、90年近い歴史を持つおでん種専門店だ。現在は3代目店主となる中山貴司さんが営業を続けている。

都内を中心に「増田屋」の屋号を持つおでん種専門店はいくつか存在するが、そのほとんどは立石店から暖簾分けしたお店となっている。最盛期には50軒近くあったが、現在では数軒を残すのみとなった。

増田屋の歴史に関しては「増田屋の系譜」という記事をご一読いただきたい。

店頭で調理されたできたておでんは向かって左側の小窓からオーダーできる。おでんの香りに誘われて、鍋を覗き込むお客さんも多い。

8つに仕切られたおでん鍋にはたくさんの種類のおでん種が溢れんばかりに敷き詰められている。どれもしっかり味が染みていそうで美味しそうだ。

おでん汁は昆布と鰹節の合わせ出汁に加え、醤油と塩、砂糖、調味料で味を整えている。中山さんいわく「特別なものは入れていない」そうだが、配合のバランスに関してはこだわりがあるという。このおでん汁は濃縮ボトルとしても販売しており、一度に何本も購入していく常連客もいるという。

大根はあらかじめ別鍋で丁寧に仕込んだものを使用している。美しい飴色をしており、食べずとも中までしっかりと味が染み込んでいるのが分かるだろう。

揚げ蒲鉾などの練り物は旨味が汁に逃げてしまうため、長い時間鍋に入れておかないそうだ。自宅で温めることを考慮して、適度な煮加減を保っている。「神は細部に宿る」といわれるが、おでん汁の配合、おでん種の仕込み、煮加減、それぞれ細かい部分にまで中山さんのこだわりが及んでいる。

そのまま食べても美味しい、『増田屋』(立石)のおでん種

自宅調理用のおでん種も見てみよう。秋冬は30種類以上が並び、どれを選ぼうか迷ってしまう。おすすめを質問すれば、人気商品を丁寧に解説してくれる。

ごぼう巻やさつま揚げなど定番の揚げ蒲鉾が揃っているが、ワンタンのような衣が巻かれた中華巻など変わり種も多くある。一番人気は刻んだ玉ねぎが入ったネギ天だ。

スケソウダラとイトヨリダイに加え、季節や日に合わせて数種類の魚をブレンドしており、ひとつひとつ丁寧に作られている。中山さんが「おでん屋ではなく練り物屋と呼ばれたい」とおっしゃるだけあり、おでんにするのはもちろん、そのまま食べても美味しい。なお、揚げ蒲鉾の制作工程はYouTubeの「Professional JAPAN【プロ】」チャンネルで確認できるので、ぜひご視聴いただきたい。

できたておでんに使用されている大根も販売している。柔らかく煮てあり味も染み込んでいるので、鍋に加えて温めるだけで簡単にしみしみの大根ができあがる。

じゃがいもも下茹でしてあるものを販売している。『増田屋』(立石)では通年男爵いもを使用しており、ほくほくとした食感を楽しめる。割れやすいのが難点だが、崩れないように絶妙な火加減で茹でてある。

こんにゃくや白滝、がんもどきなど練り物以外のおでん種もしっかり揃えている。ちくわぶは「ハダカ」と呼ばれる未包装のもので、下茹でしなくても柔らかく仕上がる。こんにゃくやちくわぶは墨田区向島の『柳澤商店』、はんぺんは豊洲の石澤から仕入れている。

これらの調理用のおでん種については「増田屋(立石)のおでん種」という記事でも紹介しているので、あわせてご覧いただきたい。

『増田屋』(立石)のできたておでん

店主の中山さんに興味深いお話をうかがいつつ、できたておでんを13種類ほど購入した。

時計回りに12時から、大根、魚のすじ、こんにゃく、肉ボール、じゃがいも、牛スジ、ちくわぶ、結び昆布、ロールキャベツ、ギョウザ巻、中華巻、ごぼう巻、玉子(中央上左)、ネギ天(中央上右)、厚揚げ(中央下)。肉ボールと中華巻はおまけしていただいた。なお、おまけは店主のご厚意によるもので、決して当たり前だと思わないようにしたいところだ。

購入すると、おでん種とともにたっぷりの汁をポリ袋に注いでくれる。しっかり輪ゴムで封がしてあり、牛スジなどの串ものは別の袋に入れてくれるので漏れ出す心配はない。さらに、紙袋と手提げ袋に入れてくれる。また、からしもサービスでつけてくれる。

封を開けたら、鍋に移して温めれば完成だ。煮立てる必要はなく、おでん種の中心まで火を通すだけでいい。すぐに食べない場合はタッパーなどに移して冷蔵しておこう。

食べやすいように盛り付けたら、温かいうちにいただこう。自宅で本格的なしみしみのおでんが食べられるのは、本当に幸せなことだ。

おでん汁はさまざまなおでん種から出た旨味が複雑に絡み合っているが、しつこさはなく清涼感さえ漂うバランスのよい味わい。昆布と鰹節が味のベースとなっており、非常に安心感がある。

大根は断面が表面と同じ美しい飴色をしている。しっかりと味が染みており、口に入れるとほろりと溶けていく。それでいて、きちんと大根の旨味も残しているのが素晴らしいところだ。

玉子もおでん汁の旨味を吸収して褐色に染まっており、まろやかな美味しさが広がる。濃厚ながらも爽やかな黄身と白身の味わいも格別だ。

じゃがいもは男爵いもを使用しており、独特のほくほくとした食感を楽しめる。温め直しても鍋のなかで崩れることなく、美しい形状を保っている。

厚揚げは立石の北口で営業する『木村屋豆腐店』のものだ。ひとつで2人前はあろうかというボリュームで、肉厚の豆腐に染み込んだおでん汁がじゅわっとあふれる。大豆の旨味も素晴らしく、再開発で閉業してしまうのは本当に惜しいと感じさせる。

ちくわぶは墨田区向島の『柳澤商店』のもので、初代店主の時代からずっと仕入れている。包装されていない通称「ハダカ」を使用しているので、柔らかくもちもちとした食感を楽しめる。おでん汁がとろりと絡み、ちくわぶファンならずとも満足することだろう。

ネギ天は魚のすり身に刻んだ玉ねぎを混ぜ込んだもので、『増田屋』(立石)の人気商品だ。魚の旨味に玉ねぎの甘さが加わり、まろやかな美味しさが口いっぱいに広がる。

ロールキャベツは非常に大きいだけでなく、中身もぎっしりと詰まったボリューム感あふれるおでん種だ。挽肉から出るたくさんの肉汁とキャベツの水分が混ざり合い、その美味しさに溺れてしまうほどだ。

牛スジはコラーゲンたっぷりのアキレスを使用しており、おでんの旨味をしっかり吸い込んでいる。ぷりぷりとした食感も面白く、噛めば噛むほど美味しさが増してくる。

ごぼう巻は非常にスタンダードながら、丁寧に作り込まれている。ほどよく残るごぼうの風味と魚のすり身の相性は抜群だ。

魚のすじは適度に煮込まれ旨味を残しつつ、ほろほろとした柔らかな食感を楽しめる。からしとの相性も抜群だが、わさびをつけて食べても美味しい。

ちくわぶと同じく、こんにゃくも『柳澤商店』のものを使用している。おでん汁のなかでじっくり煮てあるので、味がよく染みている。ぷりっとした食感もしっかり残っている。

結び昆布は2本セットでの販売となる。柔らかく煮てあるが、溶けてしまうことなく心地よい食感を保っている。昆布の旨味がしっかり残っていて非常に味わい深い。

ギョウザ巻はほかの店舗のものより大きくボリューム感がある。とろけるような味わいの餃子の皮と餡、しっかりした旨味を持つ魚のすり身が好対照をなしており、絶妙な組み合わせとなっている。

肉ボールと中華巻はおまけしていただいたものだ。中華巻は餃子の皮やワンタンのようなものが巻いてあり、すり身には刻んだ玉ねぎが入っている。肉ボールは魚のすり身にひき肉が混ぜ込んである。どちらもまろやかな味わいで、身も心もやさしさに包まれていくようだ。

店主の中山さんを慕い、多くの常連客が集まる

店主の中山さんは非常に気さくな方で、材料や作り方に至るまで「質問されたことはなんでも答える」ようにしているという。しかし、この言葉には、簡単には真似することができないという職人の矜持を感じさせる。

接客に対してもこだわりを持ち、お客さん1人ひとりに合わせて最適な距離を保ちながら、信頼を育むように配慮しているように思える。中山さん自身がお客さんの気持ちになって、心地よいと思える接客を心がけているという。「お客さんとのやりとりが楽しいから商売を続けている」ともおっしゃっていた。

そんな中山さんや彼のつくる味を慕い、地元の立石だけでなく遠方から訪れる常連客も多い。なかには台風の最中に埼玉県の川口市から車でやってきたお客さんもいるという。2022年は来客がなかった日はなく、11月現在、12月はすでに100件ほどの予約や配送依頼がきているそうだ。

中山さんは練り物づくりに情熱を注ぎ続けているが、10年ほどしたら毎日お店を開けずに趣味の旅行に出掛けたいという。ペルーのマチュピチュに行くのが夢なのだそうだが、お店で中山さんのつくる練り物やおでん種を選びながら、旅行の思い出話を聞くのも面白そうだ。

『増田屋』(立石)の基本情報

増田屋
〒124-0013 東京都葛飾区東立石4-50-3
03-3691-0477
定休日:日曜
営業時間:10:00~19:30

取材・文・撮影=東京おでんだね