2015年1月 日比谷「東京會舘」

日比谷と丸の内の間のお堀端にある「東京會舘」が建て直しのため、1月いっぱいでいったん営業を停止した。1922(大正11)年オープンの由緒ある会館だが、この建物は1971(昭和46)年建設の二代目。結婚式をはじめ、芥川賞、直木賞の発表,東宝の忘年会等数々のドラマの舞台となった。友人の結婚式もここでやったなあ。1階の喫茶コーナーではよく打ち合わせや取材で使った。ちょっとレトロで、落ち着きと気品のある会館だった。2019年に新しい「東京會舘」として再オープン、1階の内装は前の会館とよく似ているが、以前より広くゴージャスな雰囲気になった。

2015年1月「青山劇場 こどもの城」

青山通り、青山学院の前にそびえ立っていた青山劇場(円形劇場、こどもの城)が1月いっぱいで閉館となった。青山劇場は、ミュージカル「アニー」や、少年隊の「PLAY ZONE」でもおなじみ、最新の設備を誇る、ちょうどいい大きさの円形劇場だった。三宅裕司の「熱海五郎一座」もここで観た。東京から劇場や会館が消え、演劇、音楽シーンはますます危機的状況である。「こどもの城」も、子供たちが安心して遊べる楽しい空間で、遊び場の少ない都会の子供たちには貴重な場所だった。建物の老朽化という事だが、建ってからわずか27年で老朽化とはいかがなものだろう。そして、5年たった今もそのままの形で何も使われていない。東京都は再開発計画を出しているようだが、東京のど真ん中に手付かずのまま放置されているのは異常な光景としか言いようがない。

2015年3月 有楽町「ニュートーキョー数寄屋橋本店 有楽座」

有楽町マリオンの前のビル、ニュートーキョー数寄屋橋本店が3月、77年の歴史を閉じた。1階のビアホールは、『ライオン』と並んで老舗の有名店でレトロな内装が多くのビールファンに親しまれてきた。屋上のビアガーデンは、ビアガーデンのはしりで、40数年前、バイト帰りに友人たちとよく行ったものだ。同時に館内の「TOHOシネマズ有楽座」も閉館した。かつては「ニュー東宝シネマ1」という映画館だったが、リニューアルして、まだまだ綺麗でおしゃれな劇場だっただけにつぶしてしまうのはもったいない。現在は全面建て直し、『HULIC SQUARE TOKYO』という名前で、上層階は『GATE HOTEL』というホテルが入っている。

2015年3月 寝台特急「北斗星」

上野~札幌間を16時間かけて結んでいた寝台特急「北斗星」が、3月15日、定期運行を終了した。青函トンネルが完成した1988年、東京と札幌を初めて直接結ぶ列車として誕生し、以来27年間、鉄道ファンのみならず多くの人に愛された。個室寝台、食堂車、ロビー車、シャワールームを兼ね備えた、今の豪華列車のルーツとも言える。トワイライトエクスプレスもほぼ同時に廃止され、最後のブルートレインとなってしまった。廃止直前の上野駅は、毎晩多くのファンがホームにあふれ、別れを惜しんだ。現在毎日運行されている寝台特急は、サンライズ出雲、瀬戸だけになってしまい、新幹線全盛の中、旅情が失われていくのはさみしいものである。

2015年3月 「渋谷東急プラザ」

渋谷駅前の「渋谷東急プラザ」が3月22日、49年間の歴史に幕を下ろし、その後建て直された。昔の渋谷の待ち合わせ場所といえば、ハチ公前、東急文化会館前と並んでここの1階も定番だった。地下の渋谷市場や2階のフランセもよく利用したものだ。5階の紀伊国屋書店は最後まで健在。今から50年前、ここのコタニレコードで、レッド・ツェッペリンのアルバムを新譜として買ったことを思い出す。2019年にこの場所に新装なった渋谷フクラス内に新たな東急プラザがオープン、大人の商業施設として生まれ変わった。そして渋谷の再開発は現在も続いている。

2015年3月「田町ハイレーン」

ボウリングブーム絶頂期の1972年、オープンの「田町ハイレーン」が3月いっぱいで閉館し、その後取り壊された。3階から5階まで68レーンを擁し、中華料理レストランからゴルフ練習場まで備えた総合レジャー施設だった。往年の人気番組「スターボウリング」のロケ地であり、数々のボウリング番組がここで収録された。中山律子プロや西城正明プロもここで活躍していた。昭和の一大ブームの聖地がまた一つ消えていったのだ。

2015年3月 神宮外苑「日本青年館」

満開の桜の下、「日本青年館」の大ホールとホテルが36年の歴史の幕をいったん閉じた。かつて、「8時だヨ! 全員集合」「ザ・チャンス」の公開録画も行なわれ、私もAD時代、「速報! 日本レコード大賞」や「東京音楽祭」「欽也のそっくりベストテン」など数多くの番組で、毎週のように通った思い出深いホールである。ももクロやAKBもデビュー後にコンサートを開催した。この建物は1978年に建てられた二代目の青年館だが、定員1500人ほどで、「渋谷公会堂」や「中野サンプラザ」よりやや小さい使いやすいホールだった。ホテルの部屋もタレントの控室などで使ったものだ。三代目の日本青年館は、東京オリンピックで国立競技場周辺整備のため100mほど移動し、2017年、神宮球場の前に地上16階建てのビルとしてオープンした。

日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。でもここ数年、街の変化のスピードは加速度的に高くなっています。戦後75年、高度成長からも50年経って、老朽化に伴う閉鎖、また東京オリパラに向けての再開発が進んだのも要因の一つ。特に渋谷、銀座地区の変貌は目をみはるものがあります。そんな気運を受けて、短期連載「東京さよならアルバム」を始めさせていただくことになりました。今回はその第1弾、閉鎖の”ピーク”ともいえる2014年上期に消えた風景たちです。素人写真ですが、あの時代を懐かしく思い出してもらえれば幸いです。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第二弾として、引き続き閉館の“ピーク”であった2014年下期に消えていった風景を紹介します。写真・文=齋藤 薫