エンターテインメントの極みだった
「フットボールが母国に帰ってくる」
単純で明快なスローガンが、高揚感を掻き立てた。スマホもSNSもなかったあの頃は、なにもかもがシンプルで、それでいてダイナミックに躍動していた気がする。時代の空気感だったのかもしれない。プレミアリーグが華々しく幕を開けて、オアシスが音楽シーンを席巻していて。新しい価値が次々に生み出されてくるその創造のパワーやエネルギーの沸騰に、おのずと人心も沸き立っていたみたいだった。
イングランドにとって、EURO96は、1966年のワールドカップ以来となる自国開催のビッグトーナメントだった。だから「母国に帰ってくる」と銘打たれたそのEUROに向けて、フットボール熱が高まっていた。
そんな時代性を映し出すように、眩しく輝いていたのが、ニューカッスル・ユナイテッドだった。
なかでも忘れられないのが95-96シーズンだ。マンチェスター・ユナイテッドとデッドヒートを繰り広げたこのときのニューカッスルは、絶頂の美しさを発揮した。スピードとパワーを前面に、一気呵成にゴールに迫るその超攻撃的なスタイルは、エンターテインメントの極みだった。監督はケビン・キーガン。イングランドが誇るスーパースターが、とにかくアタックマインドを貫いた。
単純で明快なスローガンが、高揚感を掻き立てた。スマホもSNSもなかったあの頃は、なにもかもがシンプルで、それでいてダイナミックに躍動していた気がする。時代の空気感だったのかもしれない。プレミアリーグが華々しく幕を開けて、オアシスが音楽シーンを席巻していて。新しい価値が次々に生み出されてくるその創造のパワーやエネルギーの沸騰に、おのずと人心も沸き立っていたみたいだった。
イングランドにとって、EURO96は、1966年のワールドカップ以来となる自国開催のビッグトーナメントだった。だから「母国に帰ってくる」と銘打たれたそのEUROに向けて、フットボール熱が高まっていた。
そんな時代性を映し出すように、眩しく輝いていたのが、ニューカッスル・ユナイテッドだった。
なかでも忘れられないのが95-96シーズンだ。マンチェスター・ユナイテッドとデッドヒートを繰り広げたこのときのニューカッスルは、絶頂の美しさを発揮した。スピードとパワーを前面に、一気呵成にゴールに迫るその超攻撃的なスタイルは、エンターテインメントの極みだった。監督はケビン・キーガン。イングランドが誇るスーパースターが、とにかくアタックマインドを貫いた。
タレントは個性派揃いだった。フランスの鬼才ダビド・ジノラとコロンビアの野獣ファウスティーノ・アスプリージャが縦横無尽に暴れ回り、ピーター・ベアズリーがフレアを放ち、レス・ファーディナンドが仕上げの一撃を加える。アラン・シアラーの加入は翌シーズンで、この希代のストライカーはここにはいなかった。でも、最高にエキサイティングなチームだった。
結局、ニューカッスルは勝てなかった。2節を残してマンUと同勝点で並んでいたが、最後の2試合は連続ドローで力尽きた。それでも、アタッキングフットボールという美学に殉じた敗者の姿は、気高かった。このニューカッスルが一番好きなチームだというファンは多い。僕もそのひとりだ。
時代は移り、ニューカッスルは勝てなくなった。2000年代後半以降はすっかり競争力を失って、チャンピオンシップ(2部)降格を経験するなど低迷を続けた。なにより、我々のようなファンをがっかりさせたのは、アタックマインドというアイデンティティーも失ってしまったことだった。
それが、まさかV字復活を遂げるとは。いま、ニューカッスルは3位につけている。このまま行けばチャンピオンズリーグ(CL)に出場する。決まれば21年ぶりだ。一桁順位は11年ぶり。なんという躍進だろう。
結局、ニューカッスルは勝てなかった。2節を残してマンUと同勝点で並んでいたが、最後の2試合は連続ドローで力尽きた。それでも、アタッキングフットボールという美学に殉じた敗者の姿は、気高かった。このニューカッスルが一番好きなチームだというファンは多い。僕もそのひとりだ。
時代は移り、ニューカッスルは勝てなくなった。2000年代後半以降はすっかり競争力を失って、チャンピオンシップ(2部)降格を経験するなど低迷を続けた。なにより、我々のようなファンをがっかりさせたのは、アタックマインドというアイデンティティーも失ってしまったことだった。
それが、まさかV字復活を遂げるとは。いま、ニューカッスルは3位につけている。このまま行けばチャンピオンズリーグ(CL)に出場する。決まれば21年ぶりだ。一桁順位は11年ぶり。なんという躍進だろう。