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国内テニス

フェデラーやチャンと『名勝負』を繰り広げた鈴木貴男のテニスキャリアを、担当編集者が振り返る<SMASH>

保坂明美(THE DIGEST編集部)

2021.05.08

鈴木貴男の「一番印象に残っている試合」は、2005年全豪オープンのフェデラー戦。写真:THE DIGEST写真部

鈴木貴男の「一番印象に残っている試合」は、2005年全豪オープンのフェデラー戦。写真:THE DIGEST写真部

「区切りの試合が1セットマッチだったとはいえ、シングルスができて良かった。自分の中でこだわりだったので…」
 
 4月11日、『JPTT盛田正明杯』にてラストマッチを終えた後、鈴木貴男はそう語った。そして同時に「勝つのは本当に大変だということを、コートの中に入って、改めて感じました」とプロ生活の中でこだわってきたシングルスの難しさと楽しさを久々に味わった充実の表情を見せた。

 サーブとボレーを得意とし、ダブルスでもAIGジャパン・オープンで現デビスカップ日本代表監督の岩渕聡と組み、日本人ペア初のツアー優勝を成し遂げた経験もある鈴木だが、あくまでも「自分はシングルスがメイン」とこだわり続けた彼の美学でもある。

 鈴木貴男がプロになったのは、1995年、松岡修造がウインブルドンでベスト8に進出した年であり、女子は伊達公子が急速に世界のトップへ駆け上がり、ランキング4位になった年でもある。女子に若干遅れをとっていた日本人男子たちも世界を視野に活動を始めており、一足先にプロになった本村剛一、岩渕らは、外国人コーチに指導を仰ぎ始めた。
 
 高校1、3年でインターハイシングルスを制覇、3年時にはダブルス、団体の三冠の立役者となり、鳴り物入りでプロ入りした鈴木も必然的に外国人コーチを選択し、イタリアのクラウディオ・ピストレッジが就任した。

「クラウディオとの出会いは大きかったですね。100位以内(最高ランキング71位)を経験したことがある元選手だったので、ランキングの上げ方や、どう強くなっていくのか…ということが日本人コーチの中でも明確になっている人はいなかった時代に、指し示してくれたのでありがたかった。

 何をすればいいのか体感していたし、まだ現役を退いて間もなかったので、ダブルスも一緒に出たりして、共に過ごすうちにそこで世界というものが見えてきました。

 それにただツアーを回るだけではない、つながりができたのはありがたかった。オフシーズンにイタリアで練習やトレーニングができたことは、もう一つの拠点があるような気持ちになったし、やるべきことにじっくり取り組め、言葉も身につけることができた」

 結果は早くも出た。1996年イタリアから帰国し出場した全日本選手権で初優勝を果たした。このときの気持ちを鈴木はこう振り返る。

「コーチも全日本選手権の日本での知名度の高さを理解してくれて、約1年半取り組んだことを試そうという話をしました。この頃は本村さんや岩渕さんの方がランキングは上でしたからね。マッチポイントを取った瞬間もふわっとしていたし、もっと先を見ていたので、通過点にしかすぎなかった」
 
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