大相撲の第54代横綱輪島大士(本名・輪島博)さんが9日、死去した。70歳だった。

 輪島さんは角界引退後の1986年に全日本プロレスに入門し、戦場を土俵からリングに移した。注目の国内デビュー戦は同年11月1日に故郷の石川県七尾総合市民体育館で行われた。相手は“インドの狂虎”タイガー・ジェット・シン。当時の東京スポーツ紙面を再録する。

 ▽60分1本勝負(▲輪島 5分55秒 両者反則 シン▲)

“燃える男”輪島がプロレス界に殴り込んできた。コーナーマットに駆け上がり、控室に逃げ帰ったシンをニラみつけた。全身から怒りの炎がメラメラと音をたてて燃え上がっている。鋭い眼光、真一文字に固く閉ざされたくちびるは、凶器を持ち出したシンへの激怒で小刻みなリズムを奏でていた。

 シンとの大喧嘩マッチで日本デビューを果たした輪島。両者反則の引き分けに終わり、白星でスタートを切ることはできなかったが、スター誕生の前奏曲が高らかに鳴り響いた。

 いきなりサーベルを突き刺してきたシンに一歩も引かない気迫。シンの胸板にみみずばれのまだら模様を刻み込んだ逆水平チョップ、空手チョップの乱れ打ち、シンをあわてさせた思わぬアリキックの連発…5分55秒のファイトタイムには、ムダな動きは一切なかった。

 1秒刻みに“燃える男”の魂が、リング上からほとばしってきた。

“燃える男”輪島の怒りの表情には、同じシンを相手に“燃える闘魂”猪木の姿が重なってきた。シンを震え上がらせた猪木の闘魂が、確かに輪島の体からも発散されていた。

 もちろん、技術的な裏付けはまだまだ新人の域を出ていない。ファンクス譲りのスピニングトーホールドも軸足の位置が悪く、決定的なダメージを与えることが出来なかった。この日のために開発したゴールデンアームボンバーも、とうとう爆発させられなかった。

 だが、見る者を魅了する“燃える魂”は未熟な技を補ってあまりある迫力をかもしだしていた。これは持って生まれたものである。どんなに猛練習を積もうとも無理な話だ。“戦いの女神”が残酷な振り分けを行っているのだ。

 輪島は女神のハートをつかんでいる。大相撲で横綱を張ったのはダテではなかった。輪島の言う通り「プロレスと相撲は全く別のもの」である。だが、格闘技であることに違いはない。トップに立つには技術以上の“燃える魂”が不可欠だが、輪島はそのノウハウを見せた。合格だ。

 力道山、馬場、猪木、そして長州がつかみかけている日本マット界主役の座を、輪島が持ち前の強運をフル活用すれば、38歳の年齢も問題外だ。日本プロレス界の“顔”になれる可能性を証明した。(終わり)
 
 輪島さんは88年にプロレス引退後、評論家やタレントとして活躍した。