1981年から88年にかけてNHKで放送された「クイズ面白ゼミナール」は、82年にクイズ番組として史上最高の視聴率42.2%を記録。この数字は今なお破られていない。司会を務めたのが、NHKアナウンサーの鈴木健二さんである。

 司会が歩きまわり、解答する出演者とやりとりする。現在では当然のスタイルを創り出したのは鈴木さんだ。番組中、メモを見ずに細かい数値をよどみなく述べる姿が驚かれた。スタッフが集めた資料を頼りに台本通りではいけないと、週に最低30時間は読書し、関連分野まで調べを深めた。ひとつの問題に対する説明を30通りは考え本番に臨む。

「自分で見て聞いて感じたことをそのまましゃべればいい」

 元NHKアナウンサーで作家の下重暁子さんは言う。

「(7年先輩にあたる)鈴木さんは一番の先生であり、私の原点でした。鈴木さんが総合司会で各地をつないでいくラジオ番組に出演することになった時、もっと人間味のある話し方がしたいのです、と尋ねました。すると、自分で見て聞いて感じたことをそのまましゃべればいい、とおっしゃった。鈴木さんは自分の心を通した語りを持ち、ずっと実践していました。我流ではなく、丁寧な準備を重ね、状況にも即応していました」

 あいさつの仕方で人柄を想像、質問を柔軟に変えた。

NHKには「何気なく志願」

 29年、東京生まれ。生家は自転車のベルを製造していた。6歳年上の兄は映画監督の鈴木清順さん(2017年に93歳で他界)だ。45年、旧制弘前高校に進む。戦時中で、どうせ死ぬならせめてそれまで静かに本を読みたいと思ったという。東北大学では美術史を学ぶ。

 52年、何げなく志願したNHKにアナウンサーとして採用された。64年の東海道新幹線開業では車内からの実況を担当。発車前から台本にない言葉を放ち、臨場感がぐっと増した。一方、69年のアポロ11号による人類初の月面着陸時には無言で見守り、アームストロング船長の声を生かした。

「モナ・リザを例に、あの微笑だけで名画になっているのでない、少し横を向いているとおっしゃり、姿勢が与える印象の参考になさっていました」(下重さん)

2億円以上を納税

 娯楽の感覚を大切にした。78年に始まった「歴史への招待」は鈴木さんの講談のような名調子で人気番組に。

「クイズ面白ゼミナール」の大ヒットに伴い82年には著作の『気くばりのすすめ』がベストセラーに。83年分の長者番付によれば2億円以上を納税している。同書はこれまで約400万部売れた。日常の言葉遣いや礼儀作法の大切さを平易に説き、短い文章で具体的な例を挙げて語りかけていた。

「“わたくし”と切り出せばその後の言葉が自然と整うと教えて下さったことを思い出します」(下重さん)

3年連続で紅白司会に

 83年から3年連続で紅白歌合戦の白組司会を担当。84年、歌手引退を表明していた都はるみの歌唱後にアンコールを促そうと「私に1分間、時間を下さい」と言ったのは名文句とも気くばりに欠けるとも賛否両論。

番組を分かりやすく、面白く工夫した先駆者

 56年に入局した元NHKアナウンサー、山川静夫さんは思い出す。

「気くばりの本も紅白も話題になりましたが、それ以上に鈴木さんは内容を損なわずに番組を分かりやすく、面白く工夫した先駆者です。職場で私は鈴木さんの机の向かい側。本が壁のように積んであり時々月が昇った。鈴木さんが立ち上ると、おでこと頭が見えたのです」

 88年に59歳で定年退職。請われて民放の番組に出演したが合わず政界からの誘いも固辞した。熊本県立劇場、青森県立図書館の館長を歴任。旧制高校時代、障害のある戦災孤児との出会いが心の底に残っており、障害者支援を地道に続けた。

 90歳を超えても執筆意欲は衰えず、戦中を振り返った本を上梓している。3月29日、老衰のため95歳で逝去。

 肩書や過去の成功に執着しなかった。04年に75歳で公職を離れると自身をフリーターと呼んでいた。

「週刊新潮」2024年4月18日号 掲載