「テレビ出ない」宣言の要点は

 漫才コンテストの「M-1グランプリ」で優勝した芸人は、そこから数多くのテレビ番組に呼ばれるようになり、そこで一気に知名度を上げて人気者になる、というのがこれまでのセオリーだった。しかし、昨年末の大会で優勝した令和ロマンは、この既定路線に乗らないことを自ら宣言して話題になっている。

 令和ロマンの髙比良くるまは、相方の松井ケムリがテレビに出たいと思っていることは認めつつ、自分は「基本的にテレビの仕事は断っている」と語っていた。いくつかの機会にそのような「テレビ出ない」宣言をしているのだが、彼の主張の要点は以下の2点にまとめられる。

「テレビはギャラが安すぎる。今はライブやYouTubeの方がお金がもらえるので、テレビの優先順位が低い」

「自分自身はテレビを見て育ってきたし、テレビを好きではあるが、本来テレビは自分よりも上の世代のものだと思っている。もともとテレビに憧れのある上の世代の芸人が「有吉の壁」や「水曜日のダウンタウン」に出て必死になっているのが面白い。自分たちの世代がそういう番組に出ても、同じようにイジってはくれなくて、かわいそうな感じに見えてしまう」

「仕事を選んでいる」が実情

 1つ目の理由が独善的にも見える一方、2つ目の理由は過剰に卑屈になっているようにも見える。いずれにしても、くるまが自分の頭で考え抜いた結果として「テレビに出ない」と言っているのは確実である。つまり、これは単なるハッタリではなく、それなりに本気であるということだ。

 ただ、この「テレビ出ない」宣言をあまり文字通りに受け止める必要はないのかもしれない。令和ロマンは、優勝前の2023年10月に始まった「研修テレビ!!」(テレビ朝日系)という番組にはレギュラー出演しているし、2024年4月には「ラヴィット!」(TBS系)の新レギュラーにも抜擢された。

 それ以外のバラエティ番組で彼らの姿を見かける機会もあり、テレビに全く出ていないというわけではない。ただ、何でも手当たり次第に引き受けることはせずに、仕事を選んでいるというのが実情なのだろう。それ自体は賢明な判断である。

売り出し中の芸人と「怒涛の出演ラッシュ」

 新しく出てきた芸人が1つのネタやキャラクターで注目されたり、お笑いコンテストで優勝したりすると、多くのテレビ番組がその人たちを積極的に起用しようとする。その芸人を出演させるだけで話題作りができると考えるからだ。

 ほとんどの芸人は、ここで積極的にオファーを引き受けて、一時的にブレークを果たすことになる。毎日のようにテレビに出ることで顔を売り、視聴者に認知される。

 ただ、このときの波が大きければ大きいほど、勢いが衰えたときのショックも大きくなる。少しテレビに出るペースが落ちただけで「あいつはもう消えた」と言われたり、一発屋の烙印を押されたりする。

 もちろん、すべてのブレーク芸人がそうなってしまうわけではない。怒涛の出演ラッシュをこなしながら、そこできっちり結果を残してそのままテレビに定着する人もいる。

一昔前なら業界内外から批判も

 ただ、ほとんどの場合、芸人が自分を後押しする波の勢いをコントロールすることは難しいため、そこで不本意な形で溺れてしまったりする。

 また、今の時代、たくさんのテレビ番組に出たところで、テレビを見ていない人には何も届かない。若者を中心にテレビを見ない人が増えている現代では、テレビへの出演ペースをある程度抑えて、YouTubeなどの活動に力を入れることにもそれなりの合理性がある。

 一昔前であれば、売り出し中の若手芸人が「僕はテレビには出ないです」などと言っていたら、業界内外から批判を浴びて袋叩きに遭っていただろう。

 でも、今ではそれを堂々と宣言するくるまが叩かれることはない。叩く方が「感覚が古い」「老害」などと言われかねないほどだ。テレビは芸人を出してあげるメディアではなく、芸人に出てもらうメディアになりつつあるのだ。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部