<前編のあらすじ>

マンションの住民に会うのを避けるため、自転車で30分かかるパート先で働くはるか。毎月の住宅ローン返済に不安を募らせるはるかのもとに、ママ友から“あるLINE”が届く。

家計に大きな影響を与えたコロナウイルス

翌日の土曜日。子供たちは朝から出掛け、疲れ切った夫が起きてくる気配はない。1人リビングでスマートフォンの家計簿アプリとにらめっこする。

ここ数カ月、我が家の家計は綱渡りの状態だ。ちょっとイレギュラーな出費があっただけで、たちまち赤字に転落してしまう。

なにしろ、毎月20万円、ボーナス時100万円という住宅ローンの返済がある。ローンを組んだ頃は何とか返していけるはずだったが、状況が大きく変わってしまった。

8年前にこのマンションを購入した頃、夫の勤務先のレジャー用品メーカーは急成長を遂げていた。給料も右肩上がりに増え、私たちはその状況がずっと続くものと信じていた。今振り返れば、何ら根拠のない思い込みに過ぎないのだけれど。

それが4年前のコロナウイルスの感染拡大で売り上げが急減し、生産ラインもストップして窮地に立たされた。1年半は助成金で何とか持ちこたえたが、ついに倒産。夫は転職を余儀なくされ、給料やボーナスは大きくダウンした。やむなく専業主婦だった私が働くことになった。

夫は今になって「身の丈に合った物件にしておけば良かったんだ」と愚痴るが、そもそも8年前の私たちにそんな冷静さはなかったように思う。

家族の幸せの象徴となるはずだったマンション

新築のこのマンションを内覧した私たちは、近未来に舞い込んだかのようなロビーや居室の空間、最先端の設備にすっかり魅せられてしまった。熱に浮かされたような状態で購入を即決した。ここに比べると、どのマンションも安普請に見えた。

 

眺望を考えると中高層階の部屋が良かったが、私たちの懐具合で買えるのは15階が限界だった。それでも販売価格は8000万円。両方の親から200万円ずつ援助してもらい自己資金と合わせて前金が1000万円、さらに35年ローンで7000万円を借り入れた。

利用した10年固定ローンは当時、金利が1.5%だった。2年後には金利の見直しが予定されている。

返済額が1万〜2万円アップしただけで、たちまち我が家の家計はパンクする。2年後は長男も高校生、授業料は無償化されても、それなりに教育費の負担も増えているはずだ。夫の昇給に期待できない以上、土日もパートを入れるしかないだろう。

先のことを考えると不安で堪らなくなる。私たち一家の幸福の象徴になるはずだったこのマンションの負債が諸悪の根源になっているのだから、悪い冗談としか思えない。

だだっ広いリビングに1人でいると、マイナス思考の沼に引き込まれていく。下の公園できれいな空気でも吸ってこようと、家着のままカードキーを手に取った。外に出ると、隣の釆澤さんの奥さんと出くわした。外出から戻ったところらしい。

美容院の帰りだろうか、一昨日見かけた時と髪の長さも色も違う。釆澤さんは韓流ガールズグループのボーカルに面差しが似た長身の美人だが、取りすました感じで、何となくいけ好かない。

ママ友から聞いた采澤さんに関する噂

釆澤さんの顔を見た途端、9時過ぎにママ友の北村さんから届いたLINEのことを思い出した。北村さんと同じ階に住んでいる若い男がマルチ商法の疑いで逮捕されたらしい。男の部屋にはこのマンションとはおよそ不釣り合いな若い男女が出入りしていて、前々から「おかしな商売でもしているんじゃないか」と噂になっていた。

北村さんは、釆澤さんとその男の関係を疑っている。先月、北村さんの旦那さんが夜中にマンションのジムに入ろうとしたところ、中で2人が親しげに話しているのを見て、そっと引き返してきたのだそうだ。

いっそのこと本人に直当たりしてやろうと声をかけた。

「聞いた? 27階のボクちゃん、今朝方警察に連れていかれたって」

「え?」

 

「このマンションで若い子相手にマルチ商法やってたみたいよ。あなた、ボクちゃんと仲がいいらしいじゃない。北村さんが言ってたわよ。夜中にジムでよくデートしてるって」

「誤解です。たまたまジムで何度か一緒になっただけです」

「そうお。あなた、きれいだし、不倫でもしてるのかと思った」

釆澤さんは私と目を合わせようとせず、明らかに動揺している様子だった。すぐに北村さんに「ビンゴ!」と報告しないと。

引っ越しの挨拶に来た時、釆澤さんの旦那さんは何とかと言うスタートアップ企業の経営者だと得意げに話した。あのプライドの塊のような男は、トロフィーワイフのマンション内不倫を知ったらどう思うのだろう?

1階に向かうエレベーターの中で北村さんにLINEのメッセージを送る。すぐに既読がついた。他人の不幸は蜜の味。つかの間、目の前の不安を忘れさせてくれる。

※この連載はフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません。