どんな仕事もスポーツも勝って成果を上げるためには、妥協せず自分を追い込むほどの厳しさが欠かせません。一方でハラスメントを恐れるあまり、「ぶれなさ」「必死さ」を次の世代にうまく伝えられないリーダーが増えているのではないでしょうか。国内外の経営者が師事する「心身統一合氣道会」会長藤平信一氏のもとにも、指導者の悩みが多く寄せられています。厳しさとハラスメントの根本的な違いは何なのか?多くのリーダーを見てきた藤平氏が、九重親方(元大関・千代大海)との対話をもとに語ります。

* * * * * * *

一流の厳しい師匠の下で育った方から学ぶこと

私の著書に登場する工藤公康さん、九重親方(元大関・千代大海)、そして私、藤平信一の3人には、さまざまな共通点があります。

その一つが、とても厳しい指導者の下で育ったということです。

このような話をすると、私たちの世代より上の方には興味を持ってもらえるのですが、若い世代はとたんに意気消沈してしまいます。「厳しいのは悪」という風潮があるからです。

しかし、あえてこのような話をするのには、理由があります。それは、厳しいことは本当に悪なのか、ということを検証する必要があると思うからです。

ひと口に「厳しい」と言っても、そこにはさまざまな厳しさがあります。目的も方法論も違います。もちろん、許してはいけない厳しさもあるでしょう。体罰や暴言などとは、明確に区別されるべきです。しかし、それらをすべて十把ひとからげにして「厳しいのは悪」と断じる現代の風潮は、逆に乱暴なような気もするのです。

厳しいとは何なのか? 何のために厳しくするのか? 厳しさの結果、何を得て、何を失うのか? そうした大局的な観点から検証してみる必要があると思ったからこそ、一冊の本にまとめたのです。