沖縄戦で首里城地下に構築された第32軍司令部壕を巡り、保存・公開に向けて県が実施した2023年度の試掘調査で、作戦室などがあったとされる司令部の中枢部につながる「第1坑口」の位置を初めて特定したことが23日、分かった。1945年の沖縄戦中に米軍が実施した調査や、60年代の那覇市の調査でも確認されていなかった。県は2026年度に「第1坑口」の公開を目指している。(社会部・當銘悠、吉田伸)

 県が同日、県庁で記者会見し、詳細調査の結果を発表した。

 試掘調査では、首里城公園内にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)近くの地表から約4メートルの深さに、壕の入り口付近の床面や柱(坑木)、床板などを発見。県文化財課の立ち会いの下、坑道の側壁が外側に向かって広がっている形状を確認できたことや発見された対の柱(1・8メートル間隔)が出入り口の境目と考えたことから、この地点を「第1坑口」と判断した。

 また、第1坑口の天井部分は既に崩落していることも確認。支柱や梁などの構造物はほとんどが消失していると考えられるという。

 また、首里城の南にある「第5坑口」の試掘では、司令部壕の構築時に使用されたとみられるトロッコのレールが出土。その他、首里城の「木曳門(こびきもん)」付近で実施したボーリング調査では、米軍の調査資料でしか確認されていなかった壕の中枢部で第1坑道の位置も確認できた。

 県平和・地域外交推進課の担当者は「米軍資料の裏付けや、司令部壕の中心を通り、最も長い第1坑道の出入り口を特定できたことが重要だ。公開に向け技術的な課題や安全性の確保などを検討していく」と話した。

 県は本年度、未発掘区間とともに第1坑口、第5坑口周辺で引き続き調査する。有識者による検討委員会を設置して基本計画を策定し、具体的な公開方法を議論する予定だ。第5坑口については、県が来年度の公開を目指している。