お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する城びとの連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは「水攻め」。水攻めとは、城の周囲に堤防を築いて水を流し、城を水没させるという戦術。この水攻めを得意としたのが、天下人・豊臣秀吉です。大規模な工事が必要となるこの戦術を、なぜ秀吉は何度も成功させることができたのか。

豊臣秀吉が得意とした城攻めの戦術「水攻め」
武将たちが領地をめぐって合戦を繰り広げた戦国時代。第84回「【歴史】戦国時代の合戦はほとんどが城をめぐる戦いだったって本当?」では、合戦の多くが城をめぐる戦いだったと説明しましたが、攻城戦には力攻めや包囲戦、調略など様々なやり方があります。今回は城をめぐる戦いの中でも特殊な戦法である「水攻め」について見て行きましょう。

水攻めは包囲戦の一種ですが、大規模な堤防を造って目標の城を沈めてしまうというスケールの大きな戦法。水によって城を孤立させ、兵糧供給や援軍を断つことができます。さらに、日に日に増える水は城兵に大きな心理的圧迫感を与えたことでしょう。準備が大変なため、通常の包囲戦に比べるとメジャーではありませんが、戦国時代には何度か行われています。中でも備中高松城(岡山県)の戦い、太田城(和歌山県)の戦い、忍城(おしじょう/埼玉県)の戦いが「日本三大水攻め」として知られています。

この日本三大水攻めには、共通の人物が関わっています。そう、日本一の出世人・豊臣秀吉です。備中高松城攻めと太田城攻めは秀吉自身が指揮を執った戦い、忍城の戦いは秀吉が家臣の石田三成らに命じて行わせた合戦なのです。なぜ、秀吉は幾度も水攻めを行い、成功せることができたのでしょうか。まずはその理由を探ってみましょう。