先程述べた道兼の喪中の行いは、関白職が譲られなかった恨みからだと言われています(『大鏡』)。そんな道兼に、兄の死を受けて、念願だった関白の宣旨が下ります。道兼はたいそう喜んだといいます。その日のうちに、喜んで参内(宮中に参上)したのでした。

ところが参内する際に、道兼は、少し体調を悪くしたようです。道兼は(これは一時のことであろう。これくらいのことで、中止してはいけない)と体調不良ながらも、参内します。

すると、みるみるうちに、体調は悪化。殿上の間から退出することもできなくなるのです。人に寄り掛かり、何とかして退出する道兼。それを目撃した人々は(どうしたことか)と驚いたといいます。

一方で、道兼の邸は、主人の関白就任の喜びに包まれていました。殿のお帰りを今か今かと待ち侘びる人達。そうであるのに、主人が介抱されながら、苦しそうに帰宅したのだから、その驚きはどれほどのものだったのでしょうか。

邸の者は「殿はもしかしたら、亡くなられるのか」と裏でヒソヒソと噂し合ったようですが、表では「大丈夫でしょう。すぐによくなるはず」と言い合ったとのことです。

顔が青ざめていた道兼

病に倒れた道兼のもとには、藤原実資がやって来ます。実資は日記『小右記』の著者として有名です。

道兼の関白就任の祝いにやってきた実資でしたが、道兼との対面は異様なものでした。母屋の御簾は下され、道兼は床に伏せていたのです。道兼は実資に何やらいろいろと話しますが、言葉は途切れ途切れで、何を喋っているか正確にはわからなかったようです。

ただ、概ね次のようなことを話しているのではと、実資は推測しました。

「気分がとてもすぐれませんので、座敷に出て対面することができず……。こうして伏せながら、物を隔てて申し上げます。

君(実資)のご芳情に対しては、心中、密かに感謝しておりながら、御礼を申し上げずに過ごして参りました。この度、このような身分になりましたので、公私につけて、恩返しできればと思います。

また、事の大小によらず、相談したいと思いますので、無礼とは思いましたが、このように取り乱したところにご案内したのです」。

こう話す道兼の息遣いは、とても苦しそうでした。そのとき、風が吹いて、御簾が吹き上げられます。隙間から見える道兼の姿。その顔は青ざめ、死相が見えたそうです。意識を失ったかのような有様でした。