ズウィックが脚本家マーク・ノーマンと知り合ったのは、1991年。『グローリー』(1989)でデンゼル・ワシントンをオスカー受賞に導き、テレビドラマ『Thirtysomething』(1987〜1991)もヒットさせていたズウィックに、ノーマンは、シェイクスピアを主人公にした恋愛映画の構想を話してきた。

そのアイデアを気に入ったズウィックは、ユニバーサルに売り込む。ノーマンが書き上げた脚本は悪くなかったが、物足りなさも感じたズウィックは、敬愛するイギリスの劇作家トム・ストッパードに書き直しを依頼しようと提案。「ストッパードは誰かが書いた脚本のリライトはしないから無理だ」とスタジオに言われるも、ズウィックは一縷の望みをかけてイギリスに飛び、見事、合意を取り付けた。

ただし、ストッパードが要求してきたギャラは、100万ドル。さすがにそれはスタジオが許さないかと思っていたら、ロバーツが主演に興味を示し、状況が変わった。『プリティ・ウーマン』(1990)で大注目されたスターが出てくれるとあれば、ヒットが期待できる。立派な脚本と理想的な主演女優が揃ったこの映画の撮影準備は着々と進み、ズウィックとロバーツは同じ飛行機でロケ地のロンドンに向かった。

共演希望男優に「私のロミオになって」

その機内で、ロバーツは突然、シェイクスピア役にはダニエル・デイ=ルイスが良いと言い出す。そう聞いて、ズウィックは困った。ズウィックはこの役のために多くのイギリス人俳優と話をしており、その中にはデイ=ルイスもいたのだが、ジム・シェリダン監督の『父の祈りを』(1993)に出演を約束しているからと、断られていたのだ。

そう言ってもロバーツは「私なら彼を獲得できる」と主張。ロンドンの空港に到着するやいなや、「私のロミオになって」というカードと共に、デイ=ルイスに24本のバラを送るよう、アシスタントに命じた。

候補者たちとのオーディションの初日にも、ロバーツは、デイ=ルイスが出てくれることになったから今日の予定をキャンセルしてと言い、ズウィックを混乱させる。デイ=ルイス本人と会って確認すると、彼の答は以前と同じで「シェリダンの映画があるから無理」だった。