だが、ズウィックが本気で訴訟するかまえを見せるとしおらしい素振りをし、プロデューサーの肩書をくれると約束。ズウィックが監督もしたいというと、「君は『マーシャル・ロー』(1998)の撮影があるだろう」と言われた。ワインスタインによれば、すぐに製作に入ることはユニバーサルとの条件なのだという。

新たな監督にはマッデンが、シェイクスピア役にはレイフ・ファインズの弟ジョセフ・ファインズが決まり、映画は完成。興行成績も批評も良く、アカデミー賞にも13部門で候補入りした。その授賞式で、ズウィックはまたもや侮辱を受けることになる。

ズウィックは蚊帳の外に置かれた

事前の打ち合わせで、作品賞を受賞した場合、プロデューサーであるドナ・ジグリオッティ、デビッド・パーフィット、ズウィックは、その順番で受賞スピーチをすることとされていた。

だが、ワインスタインと裏で口合わせをしていたのか、ジグリオッティは自分とパーフィットが話し終えると、ワインスタインをマイクの前に連れてきたのだ。3人とも、映画が実現するまでの長い道のりについて語り、貢献した人たちを名指しして感謝したが、真横にいる、そもそもこれを立ち上げたズウィックの名前は一度も出てこない。

そのうちに時間が来てしまい、結局、ズウィックはひとことも話せなかった。この時、ズウィックはワインスタインを舞台から突き落としてやりたいと思ったと、本の中で告白している。

そのワインスタインは、今や性犯罪者としておそらく死ぬまで獄中生活を送る身。「オスカーを牛耳る男」と呼ばれたのは遠い昔だ。逆に、今も大スターの地位を保ち続けているロバーツとは、あれ以後、一度も話していない。

ロンドンに向かうフライトの中で、ロバーツはズウィックに、自分はいつも共演者と恋に落ちるのだと告白してきた。実際、彼女はその直前に『フラットライナーズ』(1990)の共演者キーファー・サザーランドとの婚約を結婚式の数日前に破棄したし、その前にもやはり共演で知り合ったリーアム・ニーソン、ディラン・マクダーモットと交際している。「彼女は愛を探している、おびえた若い女性だったのだ」と、ズウィック。そんな彼女を、今さら恨む気持ちはない。

結婚寸前までいったキーファー・サザーランドとのツーショット(写真:AP/アフロ/1991年第63回アカデミー賞にて)

著者:猿渡 由紀