パリ訪問 裏のテーマは「中国」そして公式予定にはなかった「訪問先」 

自民党派閥の裏金事件などをめぐり国内政治が混乱に陥るなかで、岸田総理が日本を離れる決断をした目的の1つは、フランス・パリで行われたOECD=経済協力開発機構の閣僚理事会への議長としての出席だ。日本は加盟して60周年となることに合わせ、安倍政権以来10年ぶりに閣僚理事会の議長国を務めていた。

岸田総理に加えて、上川外務大臣や河野デジタル大臣など5人もの閣僚がパリに集結し、OECD本部は日本人の関係者であふれかえっていた。桜やこいのぼりも飾られ、まるで東京にいるのではと錯覚するほどの雰囲気だった。

一連の外遊で、裏テーマとして常に意識されていたのが、中国の存在だ。少子化や雇用、女性活躍などのデータを世界と比較する際に「OECDによりますと」という言葉がよく使われるように、OECDというのは豊富なデータとそれに裏付けられた信頼性の高い分析に定評がある。そのため加盟のための適合審査の基準もかなり厳しく、アジアで加盟しているのは、日本と韓国のみだ。

そこで、近年、日本政府が力を入れているが、南半球を中心とする新興国などの「グローバルサウス」にOECDのルールを広め、加入を働きかけることだ。今回の会合にも、ASEANから初めて加盟を申請しているインドネシアやタイも招待した。ここにも、覇権を強める中国を念頭に、法による支配や自由で公正な秩序を「グローバルサウス」に広めたいという狙いがあった。

岸田総理とマクロン仏大統領

岸田総理はこのOECDでの基調スピーチなどを終え、マクロン大統領から昼食会でのもてなしを受けた。ただ、心中穏やかではないのが、その3日後には中国の習近平国家主席がフランスに「国賓」として到着するという事実だ。

マクロン大統領は、アメリカと中国の対立に巻き込まれてもメリットがないと考えているとみられ、中国との距離も詰めている。ドイツも同様の動きを見せている。

政府関係者は「習近平国家主席の訪問が直後になったのは偶然だが、G7として譲るべきじゃないところは譲るなとマクロンにクギを刺しておくことができるからよかった」と話した。

最初の訪問国フランスで、岸田総理がどうしても見ておきたかったというのが、 2019年4月の火災から5年が経ち、ことし修復工事が完了するというノートルダム大聖堂だったという。関係者によると、総理の乗った車列は、目的地への道すがら工事現場に向かい、岸田総理は車からは降りず車窓から眺めたのそうだ。

岸田総理は、再建間近のノートルダム大聖堂から何を感じ、何を祈ったのだろうか。

こうしてバタバタと日程をこなして、パリ到着から23時間後には岸田総理は南米の地に向けて飛び立った。

ちなみに、今回どの訪問先でも24時間以上滞在していない。週末や祝日になると、首脳会談がセットしにくいという事情もあるということだが、まさに「つめこみ型」の外遊となり、時差も激しく、これまで同行取材してきたなかでも、かなりハードな外遊のひとつだった。

<後編に続く>