日本製鉄がアメリカのシンボル企業ともいえる鉄鋼大手USスチールの買収に名乗りを上げた。買収総額は141億ドル(約2兆1千億円)。提案は4月に開かれたUSスチールの臨時株主総会で、賛成多数で承認された。今後は米当局の審査に移る。

 しかし全米鉄鋼労働組合(USW)は日本製鉄による買収に反対したままだ。アメリカ大統領選を11月に控え現職のバイデン大統領や、返り咲きを狙うトランプ前大統領も労組寄りの立場を示し、先行きに暗雲が漂う。総会で承認された日、USスチール本社がある米東部ペンシルベニア州ピッツバーグを歩くと、地元住民からは予想外の反応が返ってきた。(共同通信ニューヨーク支局 杉山順平)

 ▽「米国」を冠する伝統企業
 ピッツバーグはペンシルベニア州南西部に位置し、米東海岸のニューヨーク・マンハッタンから直線で約400キロ、車で約6時間強、飛行機なら1時間半ほどだ。豊富な天然資源と南北戦争による鉄需要を背景に1800年代に鉄鋼都市としての地位を確立した。ピッツバーグを訪れると今も「IRON CITY」の大きな看板が迎えてくれる。

 USスチールはそんな工業都市ピッツバーグで1901年に誕生した。「鉄鋼王」と称されたアンドリュー・カーネギーや、モルガン財閥の創始者でJPモルガン創業者のジョン・ピアポント・モルガンといった当時のアメリカのビジネス界を代表する人物が関わる製鉄会社が合併し、設立された。

 英語名は「United States Steel」。その名の通り、アメリカの産業発展に寄与してきた存在だ。USスチールのホームページを見ると「アメリカとともに進化し、成長してきた」とうたっており、ニューヨークにある国連ビルや、スタテンアイランドとブルックリンを結ぶヴェラザノ・ナローズ橋といった著名な建造物に鋼材を提供してきたと紹介されている。「鉄は国家なり」という言葉の通り、USスチールはアメリカの象徴的な企業と言えるだろう。

 ▽さびた工業地帯
 アメリカの同盟国であったとしても外国資本の日本の鉄鋼メーカーに買収されるのは感情的にも反発があるのかもしれない―。筆者は現地に行く前、こんなふうに予想していたが、ピッツバーグに住むスコット・ケリーさん(60)からは「働いている人にとって良い条件なのであれば良い取引だと思う」と肯定的な答えが返ってきた。

 ケリーさんの父親はUSスチールで働いた経験があるといい「安全保障の面で外資の買収には不安はあるけど、USスチールの財務、経営が改善するのを期待している」と語った。

 今回の買収案件の発端はUSスチールが昨年8月、身売りを含めた「戦略的選択肢」を検討していると表明したことにさかのぼる。かつては世界最大級だったUSスチールは海外勢との競争にさらされ、米国内の生産量は1950年代の約3500万トンをピークに、2022年には1000万トン台にまで落ち込んだ。最盛期に30万人を超えていた従業員数は1万人超にまで減少した。2022年の世界の鉄鋼企業ランキングでは27位に沈んだ。日本製鉄は4位だ。

 USスチールとともに地域経済も衰退し、ペンシルベニアはアメリカでラストベルト(さびた工業地帯)の代表州として語られる。もっともピッツバーグは鉄鋼業に依存していた産業構造から転換し、コンピューターやソフトウエアなどのハイテク産業への移行に成功。情報工学で国際的に有名なカーネギーメロン大学のほか、デュケイン大学などが立ち並ぶ学術都市として活気を取り戻している。

 ▽日本製鉄の約束
 ピッツバーグからレンタカーを走らせ、ブラドックという地域に向かった。車で30分足らずの郊外に、1870年代から稼働するUSスチールのエドガー・トムソン製鉄所がある。小雨のせいもあるだろうか、人けがあまりない。周りには廃虚も目立つ。

 製鉄所の近くで生まれ育ったという女性に話を聞けた。デリア・レノンさん(69)は「日本製鉄が約束を守ってくれるなら賛成だ」と語った。「買収で、USスチールの財務や技術力が向上して、製鉄所周辺のインフラや環境が改善するなら地域が潤う」。

 地元の役所に務めるルー・ランソムさん(44)は「みんな『買収』という言葉を否定的にとらえすぎている。日本製鉄が約束したことを守ってくれれば、USスチールにも地域にも良い結果になる」と期待感を口にした。

 日本製鉄は昨年12月に発表した買収案で、USスチールの当時の株価を大幅に上回る価格を提示した。総額は141億ドル(約2兆1千億円)に上る。同様にUSスチールの買収に意欲を示していた米中西部オハイオ州に拠点を置く鉄鋼大手クリーブランド・クリフスが提示した額の2倍だった。

 日本製鉄はUSスチールの社名や従業員の雇用を維持する方針を示す。少なくとも14億ドルの追加投資も約束。買収が成立した場合は、日本製鉄の米国本社を現在のテキサス州ヒューストンからピッツバーグに移転する考えを示している。地元住民がその経済効果に期待するのもうなずける。

 ▽鉄鋼業と労働者の強いつながり
 だが、鉄鋼労組のUSWは日本製鉄の提案について「空約束だ」と批判する。買収案が承認された4月12日には「今回の投票が手続きの終わりではない」と改めて買収に反対する声明を出した。USWは昨年、クリフスの買収案に賛同した経緯があり、今もクリフス側を支持しているとされる。

 USWの姿勢について、エドガー・トムソン製鉄所の近くで働く女性は賛否に触れず「外資に買収されたアメリカの企業が全く違う会社になってしまった例もある。アメリカの鉄鋼業と労働者を支える組合のつながりは強固で、反対を覆すのは難しいのではないか」と話した。

 ▽大統領選での駆け引き
 11月投開票のアメリカ大統領選で、ペンシルベニア州が選挙の勝敗を左右する激戦州の一つであることも、買収の先行きを不透明にしている。今年1月、トランプ前大統領は買収を「即座に阻止」と表明。再選を目指すバイデン大統領も呼応するように「国内で所有・運営される米国の鉄鋼企業であり続けることが不可欠だ」との声明を発表し、労組寄りの姿勢を見せた。バイデン氏は4月中旬に鉄鋼労組のピッツバーグにある本部で演説した際も同様の考えを表明している。

 USスチールの臨時株主総会での買収案が承認されたことで、今後は反トラスト法(独占禁止法)や、安全保障上の観点から外国企業の買収案件を審査する対米外国投資委員会(CFIUS)の判断に焦点が移る。だが、政治的駆け引きに巻き込まれる中で「多くの人が大統領選前に買収問題が決着すると思っていない」(米メディア)のが実情だ。

 友人がUSスチールに勤めているというポール・ドレゴウスキーさん=ピッツバーグ在住=は「日本製鉄とUSWの交渉の詳細が見えないので、USスチールの従業員も含めてみんな懐疑的になっているのでは、と感じる」と話す。そして「この問題が大統領選の戦術に利用されていることも不安に感じる」とつぶやいた。

 今回、地元を歩き、住民は買収を冷静に受け止めていると感じた。そしてその多くが「日本製鉄が『約束』を守るなら」と前置きしたことが印象に残った。大統領選に絡んで政治問題化し今後も曲折が予想される。買収の成否は日本製鉄が地元や労組側と信頼関係を深められるかどうかにかかっているのかもしれない。