世界遺産・平等院(京都府宇治市)で、観音堂という建物の修理が始まった。鎌倉時代前期のものとされる国の重要文化財だが、造られた年や由来が分からない「謎の多い建物」。約100年ぶりの修理を機に、詳しい調査も進めるという。

 観音堂は平等院境内の東北隅、正門を入ってすぐ左手にある。平家打倒に立ち上がった平安末期の武将・源頼政(1104〜80)が、追い詰められて自刃した場所と伝わる「扇の芝」の隣だ。

 幅約19メートル、奥行き約10メートル、高さ約10メートル。屋根が四方に傾斜する寄せ棟造りで、平瓦と丸瓦を交互に並べた本瓦ぶきだ。たたずまいは堂々としているが、朱色に彩られた国宝・鳳凰堂の陰に隠れて、これまでほとんど注目されることはなかった。

 府文化財保護課によると、建物の形状や様式などから、鎌倉前期に建てられたと考えられている。同じ時代の建物は府内でも数件しかなく、とても貴重だという。

 ただし、正確な建築年は分からない。元号の「文治」(1185〜90)という文字が母屋柱(もやばしら)に墨書きされていると指摘する文献はあるが、「その画像はなく確認はできていない」と担当者は話す。

 ほかにも謎めいた話がある。神居文彰(かみいもんしょう)住職によると、江戸時代の「平等院旧起」には、観音堂について、室町時代の元亀(1570〜73)のころに釣殿(つりどの)が焼失したため、上経堂(じょうきょうどう)を移築したと書かれているという。

 ただし、神居住職は「そもそも上経堂という建物については記録が存在しない。平等院の境内にあったものなのか、別の場所から移築したのだとすれば、どこにあったものなのか。分からないことばかり」という。

 現地での修理は5月中旬に始まった。現在は柱や壁などに墨で書かれている落書きの解読を進めており、府の担当者は「観音堂の由来を知る手がかりが少しでも得られれば」と期待を寄せる。