東京電力福島第一原発事故によって自主的に避難を決めた10家族の苦悩を追ったドキュメンタリー映画「決断 運命を変えた3・11母子避難」(安孫子亘監督)が公開されている。事故から13年、それぞれの心身や家計に負担が積み重なる現状をカメラの前で語っている。

 「原発事故は、放射性物質だけをばらまいたのではない。色んなものをばらまいた」

 福島県いわき市から京都市に避難した女性は、映画の中で涙する。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生、そして福島第一原発事故が起こった。

 女性は夫や義母の反対を押し切り、12年3月に娘2人と避難した。13年8月、夫と離婚。帯状疱疹(ほうしん)などを患いながら、子どもの成長に希望を託して生きてきた。

 避難先の北海道や新潟県で地方議員選挙に立候補した女性、仕事や実家の親のために一人福島にとどまる父親たち……。国の避難指示はなく自主的に避難したとして、十分な賠償や国の責任が認められず、周りの偏見にもさらされるつらさが90分の映画で描かれる。

 出演した一人で、11年5月に福島県郡山市から大阪市に避難した森松明希子さん(50)は「核被害から逃れる権利や被曝(ひばく)からの自由について伝えたい」と話す。

 上映後のトークショーに招かれた川﨑安弥子さん(57)は12年1月、福島県いわき市と接する茨城県北茨城市から、子ども3人と京都市に避難した。しかし、中学生の長男は「向こうにいた時の1千万分の1の力しかない」と、避難先で不登校に。1年9カ月後、帰郷した。「子どもの安全を考えて避難したのに、精神的につらい思いをさせてしまった」と今も葛藤している。

 映画は大阪市淀川区十三本町1丁目のシアターセブンで5月3日まで上映している。(花房吾早子)