「私たちは雑草なので……」



武相高は42年ぶり6度目の春優勝。東海大相模高との決勝を1点差で逃げ切り、マウンド付近で歓喜を見せた[写真=田中慎一郎]

【5月4日】
春季神奈川県大会決勝(横浜スタジアム)
武相高9−8東海大相模高

 見事な古豪復活だ。武相高が春の神奈川を制した。42年ぶり6度目の優勝。過去4回の夏の甲子園出場を誇るがすべて1960年代。68年夏を最後に全国舞台から遠ざかっている。なぜ、激戦区を制することができたのか。

 2020年8月から母校を指揮する豊田圭史監督は、3つの要因を挙げた。富士大から高校野球界へ移って4年。生徒に寄り添う熱血漢だ。

 まずは「反骨精神」である。

 武相高は初戦(2回戦)で昨春の県準優勝校・相洋に延長10回タイブレークで勝利(3対2)すると、勢いに乗った。3回戦で立花学園高、4回戦で横浜商高を下して、目標としていた「8強」を達成。そこで満足せず「違う景色を見よう!!」と目線を上げ、準々決勝(対日大藤沢高)、準決勝(対向上高)、決勝(対東海大相模高)と、いずれも1点差ゲームを制して42年ぶり春頂点だ。準々決勝で桐光学園高、準決勝で横浜高と激戦ブロックを勝ち上がってきた東海大相模高との力勝負で撃破したのは、価値がある。

「私たちは雑草なので……。いかにエリートの壁を乗り越えるか。雑草の戦い方で、雑草の逆襲を見せよう!! とやってきた。昨年9月17日。桐光学園との4回戦で、延長10回タイブレークで敗退(3対4)以降、悔しさを胸に、一冬かけて取り組んできました。今大会はすべてのゲームでその成果が出た。半年の積み重ねかと思います」(豊田監督)

強力打線の背景



かつて富士大を指揮し、2020年8月から母校を率いる豊田監督は指導スタッフにも恵まれ、初の頂点へ導いた[写真=田中慎一郎]

 次に勝負へ挑む上での「練習の質」だ。東海大相模高との決勝では15安打を放ち、二塁打は4本出た。向上高との準決勝でも10安打のうち、8本が長打(本塁打1、二塁打7)だった。今春から低反発の新基準バットに完全移行。飛距離が出ないとされる中でも、武相高は大会を通じて打線が活発であった。

 豊田監督を側面から支える1歳上の白濱暁コーチが、武相高の強力打線の背景を明かす。

「フィジカル面です。食べること、プロテイン摂取と、トレーナーとも話し合いながらウエイトトレーニングを強化してきました。技術的には大振りせず、コンパクトに振る。バットの芯に当てる。体を開かないで対応する。打撃の基本に立ち返りました。普段の練習からセンター中心。基礎練習を反復してきたことが、結果的に長打になったと思います。ウチはスーパースターがいません。すべてたたき上げ。コツコツと取り組んできました。豊田監督の方針を生徒たち全員が理解し、浸透しています。試合の中で迷いがありませんから、試合でミスが出ても、慌てることがありません。最後に1点でも多く取っていれば良いというスタンス。豊田監督が指導する『9イニング勝負』を理解しているからこそ、1点差ゲームが多かったのかと思います」

 投手もコントロール重視で、ストライクゾーンのコーナーに丁寧にボールを集める。140キロ超の速球がなくても、打たせて取る投球を徹底して、全員が体を張って守った。

保護者、OB、関係者が一つに



準決勝では向上高を下し、40年ぶりの関東大会進出を決め、豊田監督は応援席へガッツポーズ。準々決勝から決勝まで1点差勝利と、粘りに粘った[写真=田中慎一郎]

 最後に、Vの最大の要因は「組織力」である。

 豊田監督は「選手たちが頑張ってくれたのが一番ですが、スタンドでの(控え選手による)応援、保護者、OB、関係者が一つになった結果だと思います」と、感謝を口にした。

 熱血漢・豊田監督をサポートする体制も整う。かつて専大北上高(岩手)を率いた白濱コーチは、豊田監督と同じタイミングとなる20年8月に就任。熱烈オファーを受けたという。

「豊田監督とは富士大でのコーチ、監督時代からの付き合いであり、何とか彼の力になりたいと思いました。覚悟を持って富士大を退職し、武相に来たわけですから。母校を監督として指揮するつらさは、私も経験していますが、想像を絶するものがあります。時には孤独で苦しかったとは思いますが、この4年間、ブラさずにやってきました。私は土台の部分で、何か役に立てればと思っています」

 富士大OBで、社会人野球も経験した内野手出身の丹野涼介コーチが22年に就任。23年には投手出身で、北海高、中大と歩んできた井平光紀副部長が就任。また、野球部OBである小間章仁部長の存在もサポートも大きく、理想的な指導体制が確立されている。「春が勝負だと思っていました」と豊田監督も覚悟を示した。2月から23キロの減量。「朝から晩まで生徒たちを見て、一緒に汗を流す」。グラウンドに立ち続けるのがポリシーである。

 42年ぶりの春優勝で、40年ぶりの関東大会出場も、現場からすれば「古豪復活」への途中過程である。あくまでも目標は、56年ぶりの夏の甲子園出場だ。閉会式ラストの場内一周では、横浜スタジアムに夏の選手権大会の大会歌である『栄冠は君に輝く』が流れた。主将・仲宗根琉空(3年)の耳にも入った。

「もう2カ月もすれば、夏の大会ですね……。休んでいる暇はありません。自分たちの代で、歴史を変えていきたいと思います。個々の力では東海大相模、横浜には到底及ばないですが、チーム力で向かっていく。エリート校に対して、雑草軍団で対抗していきます」

 選手と指導者の呼吸が合っている。武相のスタイルが、春の神奈川で確立された。怖いものはない。使い古された言葉かもしれないが「自分たちの野球」を信じ抜くのみである。

文=岡本朋祐