◇コラム「撃戦記」

 キックボクシングは、1960年代にタイの国技「ムエタイ」のルールに、ボクシングジムの野口修会長(故人)が頭突きや投げを加え、誕生した。空手から転向し、スターとなった沢村忠(故人)が中心となり、一世を風靡(ふうび)。肺がんのため、6月11日に75歳で亡くなったジャパンキックボクシング協会最高顧問で、治政館ジム代表の長江国政さんも、そんな創成期に活躍したレジェンドだった。

 長江さんは別名”グローブ空手”と呼ばれた日本拳法出身で、キックボクシング転向後はフェザー級で全日本王者、ライト級で世界王者となった。第一線を退いたあとは弟子の育成に力を入れ、K―1にも選手を参戦させるなど、幅広く活躍した。

 当時、多くの格闘家が沢村の存在に刺激され、極真空手からも先輩や仲間、そして私もキックボクシングのリングに立った。引退後、長江さんと家が近かったことから、交流が続いていた。ゆえに”戦友”のような方だった。2020年5月8日にスマートフォンで撮った写真は、今も消せないでいる。

 15日の通夜は、故人の人柄を表すようにたくさんの人であふれ、長い弔問の列が続いた。合掌。 (格闘技評論家)