話題沸騰となったTBS「不適切にもほどがある!」(金曜午後10時)が終わる。日本では珍しく、スタンダップコメディドラマ(社会風刺喜劇)と呼ぶべき作品だった。脚本を書いたクドカンこと宮藤官九郎氏(53)と磯山晶プロデューサー(56)がドラマに込めた意図を読み解く。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

SNSなどで激烈な批判も

 このドラマは動画配信サービスのNetflixでも観られる。視聴推奨年齢は13歳以上。「言葉づかい」に問題があり、さらに「深刻なテーマ」が扱われていると判断されたからだ。

 主人公の小川市郎(阿部サダヲ)と娘の純子(河合優実)が「ブス!」「ハゲ!」と罵り合う一方、ハラスメントなどの社会的な題材を扱っているためだろう。

 もっとも、このドラマの扱いだけが特異なわけではない。Netflixは日本テレビ「ブラッシュアップライフ」(2023年)も視聴推奨年齢を13歳以上としている。理由はやはり「深刻なテーマ」などを取り上げているから。輪廻の描写が難解と判断されたようだ。

 Netflixの基準は厳しい。それでも両ドラマとも中学生以上の視聴は認めている。ところが、「不適切にもほどがある!」の場合、大人の一部が黙っていなかった。

 1986(昭和61)から現代にタイムリープした市郎の言動が時代錯誤だと、SNSなどで激烈に批判された。市郎は昭和から来たのだから、言動がズレているのは当たり前なのだが、許されなかった。また、実際には若い世代のほうが観ていたのだが、一方的に「若者は観ていない」と決め付けられた。嫌いなドラマだからか。難しい時代だ。

昭和の価値観の全否定に異議

 そんな時代だからこそクドカンはこのドラマを書いたに違いない。自分と異なる考えは排除する空気が強まっている。受け付けないと思った人物やテレビ番組を、SNSなどで断罪する人も増えた。この風潮にクドカンは違和感をおぼえていたのだろう。

 クドカンも磯山プロデューサーも批判は覚悟の上だった。むしろ想定よりアンチは少なかった。磯山氏はこう語っている。

「クレームがすごく来るのかなと構えていました。でも、全然来ないですね」(ENCOUNT 3月18日付)

「お断り」テロップをうまく使ったお陰でもあるが、クドカンと同じく現代社会に違和感を抱いている人が少なくなかったからではないか。

 クドカンは放送前、こう語っている。

「昭和もそこそこ生きづらかったし、戻りたいとは思わないけど、あの頃の価値観を『古い』の一言で全否定されるのは癪なんです」(クドカンの公式コメント)

 そう言われてみると、第1回で描かれたように、上司や先輩が部下や後輩に対し、「頑張って」と励ますことが問題視されかねない現代は息苦しい。

 また、第2回で働き方改革が取り上げられると、市郎は「働き方って、がむしゃらと馬車馬しかねーだろ」と言い、周囲をあきれさせたが、昭和期に無数の働く人が懸命に仕事に取り組んだから今日の日本がある。あのころ働いていた人の汗を全否定することには疑問符が付く。

「正しいのはお前だけじゃない」

 クドカンはこうも言った。故・市川森一さんが脚本を書いたTBSの名作ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」(1982年)を引き合いに出した。

「市川森一先生がご存命だったら、(このドラマに)こんなタイトルを付けたんじゃないでしょうか。『正しいのはお前だけじゃない』。自分と違う価値観を認めてこその多様性」(クドカンの公式コメント)

 このクドカンの思いは何度もドラマに織り込まれた。たとえば第9回では市郎の孫でEBSテレビのプロデューサー・犬島渚(仲里依紗)が、部下からパワハラだと告発された。休職処分となった。妊活休みの続く予定の部下に対し、渚が「その週はいないものとしてシフトを組むから」と言ったことが咎められた。

 渚にしてみると、部下への配慮のつもりだったが、相手は発言の真意を酌み取ろうとせず、自分の価値観しか認めなかった。ドラマなのでデフォルメされてはいるものの、似た話は実際にありそうだ。

対話の必要性を訴えた

 クドカンはこの物語の第1回から目立つ形でスマホやコンビニを登場させ、昭和期より現代はずっと便利だと強調した。意図的だろう。なぜなら、現代のほうが幸せだと表現したシーンは1度もない。便利度と幸福度は比例しない。この辺にクドカンの思いの一端が隠れているに違いない。

 第9話で令和という時代に敗れた形になった渚は、疲れた表情で社会学者の向坂サカエ(吉田羊)に対し、「どうでした昭和?」と尋ねる。昭和生まれのサカエは現在、昭和を旅している。サカエはこう答えた。

「なんか全体的にうるさかったな。みんな無駄なことをしゃべるから」(サカエ)

 現代人が静かな理由の1つはスマホを相手にする時間が長いから。加えて自分の発言が咎められることを怖れ、口を閉ざしている一面 もあるだろう。

 サカエのセリフは、今の時代は対話不足だというクドカンの考えを暗喩していた。第1回でもアプリ開発会社社員の秋津真彦(磯村勇斗)がミュージカル場面で「話し合いましょー」と歌った。話し合いが現代社会の諸問題を解決する糸口になるとクドカンは考えている。

核心部分は野心的な硬派ドラマ

 ファンなら知っての通り、クドカンのドラマはいずれも情報量が多い。このドラマの中身も多彩であり、ホームドラマ、テレビ業界ドラマ、青春ドラマなどが混在している。しかし、本質はスタンダップコメディドラマに違いない。本場は米国。社会風刺色が色濃いコメディドラマである。

 日本での代表作は1970年に放送された「お荷物小荷物」(朝日放送制作、当時の同局のネットはTBS系)。出演したのは中山千夏(75)ら。一見するとコミカルなホームドラマなのだが、返還前だった沖縄の問題、ジェンダー問題、憲法9条問題などがストーリーに盛り込まれていた。

 それでいて堅苦しさのない愉快なドラマで、世帯視聴率は30%近くにも達した。あのころは日米安保条約の延長問題や学園紛争があり、政治の季節だった。

 時代は移り、クドカンはこのドラマでは現代人にとって身近な問題を並べた。パワハラ、働き方改革以外にも毎回、社会風刺を盛り込んだ。セクハラ(第3回)、SNSとの向き合い方(第4回)、不登校(第5回)、つまらなくなったテレビ(第6回)、SNSでの中傷とエゴサーチ(第7回)、1度の過ちも許さない風潮とコタツ記事(第8回)、妊活問題と近隣トラブル(第9回)。

 ここまで社会風刺色の濃いドラマは平成期入り後、なかった。クドカンがコミカル色でコーティングしたから気づきにくいが、核心部分は野心的な硬派ドラマにほかならない。

最終回に現れるのは死生観か

 ホームドラマの部分にもクドカンの個性が色濃く表れている。第1話から市郎は亡くなった妻・ゆり(蛙亭のイワクラ)が祀られた仏壇に向かって手を合わせた。第9話になると、26歳だった1995年1月に阪神・淡路大震災で死去した純子の仏壇に向かって、夫の犬島ゆずる(古田新太)が目を伏せた。これほど仏壇が出てくるドラマは最近では珍しい。

 小川家も犬島家も家族やその霊を大切にする。結び付きが固い。クドカンのドラマの家族は大半がそう。クドカン自身が小学校の校長だった父親や文房具店を営んでいた母親、そして2人の姉に大事にされたせいでもあるのだろう。

 小川家の歴史はあと9年で終わる。市郎は自分たちの運命を知ってしまったが、純子にはそれを伝えていない。最終回はどうなるのだろう。

 第6話で市郎は苦悩を口にしていた。

「オレはいいんだよ。いつ死んでも。だけど、純子が。まさか26歳で亡くなるとはなぁ」(市郎)

 現代に暮らしていても切なくなるセリフだった。市郎は愛する純子の人生を全うさせるため、禁を破って歴史を変えるのか。それとも運命を甘受するのか。

 最終回にはクドカンの死生観が表れるのだろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。放送批評懇談会出版編集委員。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。

デイリー新潮編集部