YouTubeに登場

 復活説が出ては消えることの連続だった歌手の中森明菜(58)が、今度こそ本格復帰らしい。59歳の誕生日となる7月13日にファンクラブ会員を対象にしたライブを開催すると、サンケイスポーツが報じている。ファンにとって待ちに待った開催だが、本人を知る芸能関係者ほど「今度こそ大丈夫かしら?」と訝り、復活に疑問符をつけている。その理由とは?

 4月3日に公式YouTubeチャンネルを更新し、ヒット曲「TATTOO」のジャズバージョンを披露した明菜。その歌う姿は一見、58歳とは見えない若さがあり、両手でピースサインを送る笑顔は明るかった。本人を知る音楽業界関係者はこんな深読みをする。

「明菜さんは昔から感情の起伏が激しく、同じ一日でも朝、明るく挨拶に応じてくれたのに、夕方になると人が変わったようにブルーになったりする。そうしたところは、昔から知る人ぞ知る話でしたが、新しいスタッフ、とりわけ若い世代は戸惑って、合わせられなかったりするんです。今の周辺スタッフが明菜さんと歩を合わせ、うまくやっていけているといいのですが……」

 10日には公式YouTubeチャンネルで、ヒット曲「BLONDE」を披露。昔と変わらぬ歌声にファンは歓喜しているが、自身の近況などは詳しく伝えられていない。振り返れば、様々なエピソードに事欠かないアーティストだった。

 番組生出演やイベント会場で、ファンが幕開けを楽しみにしている本番前でも、トイレに引きこもり、出てこないことは数知れず。撮影を現場で拒否、気分が乗らないと現場にすら現れないこともままあったという。仕事相手が誰であろうと、気にもとめないマイペースぶりだった。

 88年のソウル五輪では、お家芸の柔道で唯一金メダリスト、故・斉藤仁選手がヒーローとなったが、明菜にはこんなエピソードが語り継がれている。

柔道・斉藤仁選手が落胆

 音楽番組を担当していたテレビマンが回想する。

「斉藤選手が明菜ファンで、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系音楽番組)のスタジオで段取りをつけて、撮影スタンバイで待ちかまえていたんです。ところが、リハを終えた明菜さんは大きな花束を抱えた斉藤選手に一瞥もくれず、前を素通りして行ってしまった。リハが満足できるものではなく、他の事が目に入らなくなっていたのかもしれません。斉藤選手は『金メダル獲ったってこんなもんですよね』と明らかに落胆していました。廊下で掃除のおばちゃんたちから声をかけられると『僕はおばちゃんには人気あるんですよ』って自嘲気味に笑っていた。寂しそうだったあの大きな背中をよく覚えています」

 寝る時間もないほどの過密スケジュールが当たり前の当時、売れっ子明菜のハンドリングは大変で、四六時中振り回された挙げ句、罵倒され、ノイローゼになるなどして、辞めていったマネージャーが年に「6〜7人いた」という話もある。

「研音の当時社長だった児玉英毅さんは、『そんな明菜を通らないと、一人前のマネージャーにはなれない』なんて言っていましたね。パワハラという言葉もなく、リゲインのCMでのフレーズ『24時間働けますか』が新語流行語大賞になる時代でしたけれど、マネージャーやスタッフは本当に大変でした。当時は成田空港での取材がよくあって、出入国時のスターにマイクを向けていたのですが、明菜さんは飛行機から降りてきたときの機嫌次第で取材できたり、できなかったりしました。ご機嫌のときはニコニコと対応してくれるのですが、そうじゃないと無視です」(元ワイドショー芸能リポーター)

 ご機嫌が斜めだったのか、タクシー乗車の際にマイクを差し出した芸能リポーターに「アンタ、仕事やめたほうがいいよ。人生、考えたほうがいいよ」と冷たく言い放ち、取材にはノーコメントで消えていったことも。当時、交際していた近藤真彦に対しても「楽屋でカツ丼を投げつけた」という仰天エピソードが語り継がれている。

 夜の街、六本木界隈でも名を馳せ、打ち合わせでもテキーラなど、度数の高い酒をぐいぐい飲んでは、泥酔する姿がキャッチされていた。

憧れは山口百恵さん

 そんな明菜を「完璧主義者」と評す声もある。トイレ引きこもりも、仕事ボイコットも、マネージャーこき使いも、面会者スルーも、そうした一途な性格に起因するのだという。良くいえば天才肌のアーティストなのかもしれないが、「エリカ様」こと沢尻エリカの女王様キャラもそこのけの、悪女ぶりだ。かつての明菜を知る関係者の間では、今回の復活によって、そんなキャラクターが甦るのではないかとの見方もある。

 明菜は東京都清瀬市出身。6人兄妹の5番目、3女として生を受け、ツッパリの兄姉と違い、お母さん思いのおとなしい少女時代を過ごした。そのお母さんが美空ひばりさんに憧れて歌手を目指したが、叶わなかったことを聞き、その夢を引き継いだというのが、歌手になった理由のひとつだ。

 売れるための過当競争に、プライバシーもなにもない取材攻勢がすさまじかった80、90年代。その時代を勝ち抜いて、松田聖子と肩を並べ、歌謡界のトップに立ったが、それがゴールではなかった。

 自分の夢は結婚し、幸せな王子様のお嫁さんになること。二十歳で結婚し引退した山口百恵さんの姿を思い描いていたのだ。しかし、その夢は叶わず。ワイドショー、スポーツ紙、女性誌と、芸能マスコミからこぞって追いかけられる中、人間不信に陥り、家族とも断絶。「難破船」のような人生を送ってきた。

 アラ還となった歌姫は再びステージに立ち、スポットライトを浴びる姿を見せられるだろうか。

デイリー新潮編集部