人前で話をするのが大のニガ手です。展覧会のオープニングセレモニーで挨拶をさせられることがありますが、僕にとっては実に恐しいことなのです。こういう仕事をしていると、人前に引っ張り出されることもありますが、たまにしても実にそっけないことを話して大恥をかくだけ。最近は人前で話す仕事の依頼はあまりないので助かっていますが、それでも公開対談や講演の依頼などがあると、なるべくお断りすることにしています。よほどの場合、引き受けてしまうこともありますが、シマッタと思うことばかりです。子供の頃から口ベタで誰と会ってもうつむいて何もしゃべれない状態でした。

 偉い文学者でも人前で話をするのはニガ手だという人がおられるそうです。例えば川端康成さんがそうだったらしく、断っても断ってもしつこく講演を依頼され、「ほんの一瞬、顔だけでも出してもらえれば」と無理矢理講演会場に連れて来られたことがあったそうです。業をにやした川端さんは「じゃ、顔を見せるだけですよ」と、ステージに現われて、「こんな顔でよければ見て下さい」と言って、あとは一言も話さないで終ってしまったという話を聞いたことがあります。川端さんのような人は肝の座ったよほどの大人物ですが、そんな人は滅多にいません。

 ここから先きは僕の話になります。かなり以前の話ですがニューオーリンズで個展を開いた時、大学の講堂で講演をすることになりました。講演の前日、ニューオーリンズの日本領事に招かれて会食をしました。その席で、領事は僕にアメリカ人を対象にする講演のコツを教えましょうと、次のように言ったのです。

「アメリカ人は最初が大事です。講演がウケるかどうかは最初の一言で決まります。その一言が、講演が成功するかどうかの鍵です。つまり、一発ガツンとかますのです。この一発がなければ最後まで、不快な気分を引きずる羽目になります」

「その一発とは何のことですか」

「それは笑いです。最初に笑わせなければ最後まで、みじめな気持でステージに立つことになります」

 ウワー、えらいことになってしまった。僕は吉本興業の人間ではない。人を笑わすためにこの講演を引き受けたわけではありません。領事の一言は僕に決定的なプレッシャーになってしまいました。そしていよいよ講演本番になりました。講堂には若い学生だけでなく半分以上は一般人、ひと目でほぼ全員が知識人とわかる顔をした人ばかりです。

 こんな場所に立つだけで僕は足が竦(すく)んでしまうのです。昨夜の領事の言葉の呪縛の奴隷になったような気分でコチコチに固まった状態でステージに立ちました。眼鏡を掛けた人、頭髪の薄い人、白髪の人、ヒゲを伸ばした人、全員がアメリカ人のインテリに見えました。人前で話した経験の少い僕のための舞台ではない。何かの間違いで僕はここにやってきたのです。

 見ると最前列に昨夜の領事が座っています。まるで試験官のように思えて、ただ恐しい気持です。「一発かますんだよ!」と言っているかのようです。

 そこで壇上に上るなり僕の発した言葉は次のようなことでした。

「実は昨夜日本の領事と食事をしながら、領事が僕に、アメリカ人を相手に話す場合は、先ず最初の一言が非常に重要で、この最初の一発がかませるかどうかで、あなたの明日の講演は決まります。その一発の反応で聴講者を笑わせる必要があります。ここで聴講者が笑わなければ、この講演は失敗です。だから、横尾さん、一発ガツンと面白いことを言って笑わして下さい、と僕はこのように領事からレクチャーを受けたのです」

 とここまで話すか話さない内に、会場の聴講者は一気にドーッと笑ったのです。領事の顔を見ると領事は「してやった」というような顔で大満足、僕に右手の親指を立ててサインを送っています。

 これからあとの話は何をしゃべっても大爆笑、「何がそんなにおかしいのですか?」と聞くとまた大爆笑。僕は日本から来たアーティストで、コメディアンではありません、というと又、音を立てて笑うのです。もう勝手にしろという気分になった僕は「ニューオーリンズがミシシッピ河よりも海抜が低いのは、こちらの女性が皆肥っていることが地盤沈下の原因になっていると思います」と何んともレベルの低いジョークを話すと、これだけで大喜び。

 もうこうなったらなんだって笑う。本当に領事の言っていた通りだ。「その領事という人は、最前列におられるこの方です」と名指しをしただけで、大拍手が起こる。暑くなってハンカチで額の汗をふくだけでも笑う。話につまって、無言になって困った顔になっても笑う。これは一体どういうことなんだろう。僕に問題があるのかアメリカ人の問題なのか、今だに僕はこの難問の答えが見つかりません。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

「週刊新潮」2024年5月2・9日号 掲載