ビッグモーターの不祥事が発覚した当初、テレビに出ずっぱりだった元幹部を覚えているだろうか。中古車販売会社「BUDDICA」代表でYouTuberの中野優作氏(42)である。ビッグ社が伊藤忠商事の傘下に入ることが正式発表されたことを受け、中野氏がこれまで語ってこなかった兼重宏行前社長への思いを「デイリー新潮」のインタビューで初めて明かした。(前後編の前編)

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唯一、顔出し実名で語れる“関係者”が自分だった

「悔しさ、不安、怒りでおかしくなっていました。気付いたら、求められるがままテレビに出ていました」

 自分の顔を全国区にした激動の一週間を、中野氏はこう振り返る。

 昨年7月に発覚したビッグ社の不祥事。ゴルフボールで故意に顧客の車を破損させて保険金を水増し請求したり、トップの巡回に備えて店舗前の街路樹に枯葉剤を撒き散らすといった前代未聞の不正が明らかになり、同社への批判は燎原の火のごとく社会に拡大していった。

 そんな中「元幹部」という肩書きで、ビッグ社の問題点をテレビで解説し続けたのが中野氏だった。子会社の代表を任されるなど会社の中枢にいた中野氏は、2017年に退社。中古車販売会社「BUDDICA」を1人で起こした。同社は今や年商65億円、社員数70人を数える中堅企業である。

「ビッグ社が記者会見を開いたのは報道が始まって10日以上経ってのことです。それまでは幹部も含めて誰も表に出てこようとしなかった。僕はその数カ月くらい前から自分のYouTubeチャンネルでビッグ社に関する告発動画をいくつか出していました。“唯一、顔出し実名で語れる関係者”として僕に取材が集中したのです」

兼重氏を擁護するとつまらなそうな顔をしたディレクター

 1日4つのテレビ局を梯子することも。朝行った局で夜、別番組から取材を受ける“おかわり”もあった。移動の合間も新聞・雑誌の取材攻勢が夜間まで続く。

 闇雲に取材を受け続けたのは「経営陣への怒り」からだった。

「歯がゆい気持ちでした。なんでもっと早く気づけなかったんだ、どうしてこうなるまで問題を放置したのか、なぜ早く出てきて世間に説明しないのかという憤り。使命感もあった。数カ月に及んだ報道の中で何十人もの内部告発者が現れましたが、顔出し実名だったのは僕だけだったと思います。あの時点においては、僕を除いてビッグ社の体質や兼重親子や幹部たちを正確に語れる関係者はいなかった」

 一方、不正の詳細を解説するコメンテーターとしては“不適格”だと感じていた。中野氏は「ゴルフボール」や「枯葉剤」を伝聞でしか知らない。ビッグ社を身売りさせるまで追い込むことになった数々の不正は、退職後、宏行氏が息子の宏一氏に実権を譲ってから起きたことだった。

 無論、すべての結果責任は兼重氏にある。だが、兼重氏を批判することにはためらいがあった。

「兼重さんの目が黒いうちは、こんなことは絶対に起きなかった」

 そんな話をし始めるとディレクターはあからさまにつまらなそうな顔をした。実際、ほとんどの放送で兼重氏を擁護するコメントはカットされていた。

 中野氏にとって兼重氏は、年収1800万円という、中卒の営業未経験者には考えられなかった夢を実現させ、その後、独立して事業を起こす道を与えてくれた恩人。ずっと目標としてきた、オヤジのような存在だった。

「中卒」「営業経験ゼロ」の自分をたった1年半で店長にあげてくれた恩人

 中野氏がビッグ社の門を叩いたのは、2003年、27歳の頃であった。生まれは香川県さぬき市。高校を1年で中退、地元で土木現場を転々としたが、土木業界で中卒が得られる年収は500万円が限界だった。

 そんな時、目にした〈最高で年収1000万円〉と書かれたビッグ社の求人。もっと金が稼ぎたい。営業の世界で天下を取りたい。そう意気込んで飛び込むと、がむしゃらに働き始めた。

 営業未経験ながらも入社1年で成績は全国トップに。その半年後には店長。その後も大型店舗の店長、エリアマネージャー、会社の中枢である営業本部と、順調に出世の階段を駆け上がって行った。

兼重さんはいつも顧客の方を向いていた

 朝から晩まで働いた。血尿も出た。入院もした。だが、すぐに職場に舞い戻った。その常軌を逸した働きぶりについては別稿で詳述するが、血の滲む努力で中野氏が叩き出した数字に目を止め、引き上げてくれた人物こそ、兼重氏だった。

「僕が入った頃はまだ中四国地方に30店舗くらい展開していた時代で、社員もせいぜい1000人くらいだった。そのくらいまでは、兼重さんは社員全員の下の名前まで覚えていました。店舗視察の際も庶務の女性社員にまで気を遣って、『結婚おめでとう』と声をかけるような人だった」

 街路樹に枯葉剤を撒き散らすほど社員を追い込んだ「恐怖の環境整備点検」など、在籍していた頃には「見たことも聞いたこともない」。

「兼重さんはいつもふらりと1人で店舗に現れました。気づいたスタッフがお客さんを置いて出迎えに行こうとしたら、『何しとる! お客さんを優先しんさい!』です。あの人はいつも顧客の方を向いていました。顧客からの信頼無くして継続性のあるビジネスは展開出来ないという経営理念があったからです」

 ただ、業界特有の体育会系体質の中で醸成された「パワハラ」は昔からあった。オプション込みで契約させる強引な抱き合わせ商法も。今は中野氏自身も悪しき慣習に加担していたと反省している。

 “前兆”もあった。自分のことだけしか考えない幹部が兼重氏の目を盗んで、自分をよく見せるために空受注を現場に強いるなどのパワハラが横行していた。中野氏は退職する際、現場の足を引っ張っていた営業本部付きの幹部社員2人の横暴を兼重氏に直訴。“刺して”から辞めている。

「その時も兼重さんは激昂して、2人を即座に更迭。私を慰留してくれました」

 だが、ゴルフボールを用いて顧客の車に傷をつけるなど、顧客を根底から裏切ることが許される会社では絶対になかった。中野氏が会社を去った後、兼重氏が実権を副社長の息子に譲り渡し、その周りを“暴君”のご機嫌取りだけに徹する幹部たちが固めるようになってから起きたことだった。

テレビ出演を1週間でやめたワケ

〈売名したいんだろ〉
〈自分だって不正に加担して稼いだ金を元手に金儲けしたくせに〉

 テレビ出演を続けるうちにネットには中野氏への批判コメントも溢れかえるようになった。「世話になった会社をよく批判できますね」。昔の仲間からも嫌味を言われた。

 精神が疲弊していた頃、とうとう兼重氏が記者会見を開くという情報が入ってきた。それを聞いて以降、中野氏は取材を受けるのをやめた。

 自分の役目は終わった。あとは兼重さんが息子の首根っこを掴んでテレビカメラの前に引っ張り出して誠心誠意、言葉を尽くして謝罪すればいい。

 7月25日午前11時。中野氏は職場で同僚らとテレビを囲んで記者会見が始まるのを待った。だが、中野氏の期待はのっけから脆くも崩れ落ちたーー。

後編【「自分の胸に手を当てて考えろ」ビッグモーターを告発し、記者会見で兼重宏行氏から批判された元幹部の「反論と贖罪」に続く】

デイリー新潮編集部