きっかけが欲しいから

「大谷翔平、クリケット・バット効果で絶好調!」と話題になっている。

 4月7日のカブス戦、降雨中断した時に室内練習場でクリケット・バットを使って練習したら感じが良かったという。実際、直後に2打数2安打。8日はレフトへの第3号ホームランを含む3安打を記録した。大谷の姿に影響され、クリケット・バットを使った新鋭アウトマンにも効果が波及した。26歳のアウトマンは今季の活躍が期待されながら開幕から40打席ホームランがなく、打率も1割台に低迷していた。ところが、クリケット・バットを使った途端、8日は今季1号となる決勝アーチ、9日にも2試合連続となる2号先制3ランを放り込んだ。ドジャースのロバーツ監督も「(ほかにも)秘密兵器のクリケット・バットを使う選手が出てくるだろう」と、大谷効果を歓迎している。

 一体なぜ大谷はクリケットのバットを練習に使ったのか?

 そもそも、連日マルチ安打を記録し、遅まきながら開幕1号、そしてすぐ2号を打った大谷は調子を取り戻したのか?

 答えは「ノー」だと見るのが妥当だったろう。

 もし大谷自身が好調だと感じていたなら、普段使わないクリケット・バットをあえて使うだろうか? ヒットこそ出ている、ホームランも出始めた、しかしまだ打撃がしっくり来ていなかった、何かきっかけが欲しいから「秘密兵器」のクリケット・バットを使った……。そう見るのが自然ではないだろうか。

タイミングを合わせて打つものではない

 大谷はクリケット・バットを使った理由を次のようにコメントしている。

「面になっているので、面で捉えていくというか、体を振って(バットを)返しているのが早い感じのスイングだったので握ったときに良さそうだなと(思った)」(スポーツ報知)

 ちょっと意味が分かりにくいので、私なりの解説を加えてみたい。そもそも、力強くバットを振ろうとすると、体とバット・スイングの動きにズレが生じる。どうしても腰が先に動いてバットが遅れたり、手首を早く返してしまったり。ところが、野球のバットより200グラムから400グラム重く、しかも打球面が平板なクリケット・バットで打つときには、体の動きとバット・スイングの動きが一致する。手首だけを返すことはできない。バットが遅れて出たら打球は真っすぐに打ち返せない。それで感覚がつかめた、という意味ではないだろうか。

 私が、開幕からずっと「大谷は決して好調ではない」と案じていた理由は「タイミングを合わせて、打ちに行っていたから」だ。大半の野球ファンは、打撃とは「タイミングを合わせて打つもの」と思い込んでいるだろう。だが、大谷がホームランを量産している時期、例えば2021年のオールスター前はほとんど上体を左右に動かさず、中心にピタリとセットしたまま身体を回転させてボールを処理していた。力みもせず、軽くバットを出しただけに見えるのに、打球は気持ちよく飛んでいく。村上宗隆も、中村剛也も、ホームラン打者は身体を左右に移動する動きをほとんどしない。むしろ「打ちたい」と意識した時に、この悪い動きが出てしまう。まず捕手方向に体重を移動し、次に投手方向に身体を動かしながらスイングする。ドンピシャリで球が来ればいいが、たいていはタイミングを外される。村上が王貞治のシーズン最多55本塁打に並んだ後、60打席も一発が出ずに苦しんだ時も、まさにこの悪い動きが記録達成を阻んでいた。

フライボール革命

 今季の大谷もヒットこそ出ているが、詰まり気味のポテンヒットや、強い打球だが空中に上がらずゴロや低いライナーになってしまうことが目立つ。ヒットの内容は決して良いと言えない。だからこそ、大谷はクリケット・バットを試したのではないだろうか。

 ドジャースの打撃練習場にクリケット・バットが置いてあった理由は、おそらく最近のMLBの打撃傾向と関係があるだろう。

 数年前から〈フライボール革命〉が叫ばれ、「ゴロは絶対にホームランにならない」「フライを打てばフェンスを越える可能性がある」という考えが優位になった。従来の日本野球の常識とは対極的な〈フライ信仰〉がいまはMLBを支配している。

 それに関連して、〈バレル率〉とか〈バレル・ゾーン〉という言葉も盛んに使われる。バレルとは元々、バットの太い部分のことを指す言葉。バレル率とは、打球の初速と打球角度の理想の組み合わせを表す指標と言われる。本塁打につながるバレル・ゾーンの角度は、打球の初速が速いほど広がる。つまり、より速い打球速度、飛びやすい角度で打ち上げればホームランの確率が上がるという発想だ。大谷も、MLBに渡ってからは頻繁に角度について言及しているから、常に意識している打撃の核心と見ていただろう。

アッパースイングの方が飛ぶのか

 打球面が平板なクリケット・バットは、バットの角度がそのまま打球方向と一致する。その意味で、スイングと打球角度の確認がしやすい効果があると分析する関係者も多い。

 だが、この説には少し疑問がある。それは、日本で長く信じられている「飛ばす極意」と「フライボール革命の理論」はある意味、正反対だからだ。王貞治が日本刀で稽古した話は有名だ。縦振りでボールをスパッと斬るイメージ。「上からボールを捉え(ボールの下側にバットが入り込み)、ボールに上昇回転を与えることで打球が飛ぶ」という発想だ。ところが、MLBのフライボール革命は違う。「一定のスイングスピードがあれば、アッパースイングの方が打球は飛ぶ」。まさにクリケット・バットですくい上げる打法を推奨し、「力さえあればそのままいい角度で飛んでいく」と言わんばかりの理論だ。本当にそうだろうか? これについては、まだ結論を出すには早いだろう。いずれもっと実証データが重なり、大谷自身の行く末も見守る中で見えてくるのを楽しみにしたい。

 それよりも、「クリケット・バットで大谷が変化した事実」、はっきりしたクリケット・バット効果を指摘したい。

自然に身体が反応する

 大谷がクリケット・バットで練習した時、おそらく140㎞いや120㎞を超えるような速いボールは打っていないだろう。山なりのボールをミートして、打撃の感覚をつかむような練習だったと想像できる。遅いボールなら、身体を左右に動かしてタイミングを取る必要はない。しかも、バットが重いから、どっしり構え、打つ前に予めボールを捉え、打つべきポイントに来た瞬間に反応してスイングする。その感覚を大谷は思い出したのではないだろうか。

 実際、クリケット・バットで練習した後にレフト方向に打った第3号の打席では、身体の左右の動きが消えている。真っすぐに立ち、軸をぶらさず、やや遅れ気味だが、自然にバットを出してボールを弾き返している。その日のヒットも同様だ。大谷が意識して改善したのか、身体が勝手に思い出したのか。いずれにしても、間違いなく理想に近づいたという意味で、「クリケット・バットの効果はあった」と歓迎していいだろう。ボールを打ちに行くのでなく、「ボールを捉えてから自然に体が反応する」、自然体の大谷が復活すれば、この時こそホームラン量産が期待できるだろう。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部