4月20日、将棋の叡王戦五番勝負(主催・不二家)の第2局が石川県加賀市の「アパリゾート佳水郷」で行われ、挑戦者の伊藤匠七段(21)が87手の短手数で藤井聡太八冠(21)に勝利。対戦成績は1勝1敗となった。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

新戦法に挑戦した藤井

 藤井は大山康晴十五世名人(1923〜1992)が持つタイトル戦の最多連勝記録の17まであとひとつに迫っていた。62年ぶりのタイ記録達成を逸した藤井は「仕方がないかなと思っています」と笑った。

 一方の伊藤は、ここまで公式戦での藤井との対戦成績は引分け1を含む11連敗だったが、13戦目でようやく初勝利。「ひとつ結果が出たことはよかったですが、まだ番勝負は続くので引き続き頑張りたい」と話した。

 先手は伊藤。「角換わり腰掛け銀」で進むかと思ったが、違った。藤井は10手目に角を「3三」に据え、これを伊藤の角に取らせると、取り返した藤井の金がそこに居座った。そして反対サイドの藤井の銀が早々に前進して行く。統計的には後手番の方が先手番よりもわずかに不利になる。そんな後手番にとって、この「3三金型早繰り銀」は、「知る人ぞ知る」切り札の一つだが、公式戦で使う棋士は少なく、藤井も初体験だった。

 通常、角交換後の後手は自陣の「3三」に銀を配置し、金は下段で玉を守るが、短手数で玉を守り、右側の銀を繰り出して速攻で潰してゆく奇襲戦法である。ただし、玉の守りは薄く、危険も多い。将棋界では「サンサン金」ではなく「サザーン金」という読み方をする。

「3三」に金がいると、跳ねてくる相手の桂馬に狙われやすい。桂馬の攻撃を防ぐには、桂馬に銀を正面からぶつけて、さらに進めようとする2カ所のマスを斜め後ろに下がれる銀で守ることが多いが、真後ろにしか下がれない金ではそれができないからだ。ちなみに、通常、角交換は、自ら交換に行く側が手数的には損になる。交換に来られた側は、取り返すだけで進めたい位置に駒を進められるからだ。

スリルある展開

 伊藤は藤井の奇策に「早い段階で前例の少ない将棋になり……」(局後の談話)と驚きながらも冷静に対応していく。

 午前中に三十数手が進み、伊藤が藤井陣へ角を打ち込んだところで昼食休憩。藤井は石川炙り寿司と小松うどん(冷)と加賀棒茶、伊藤は能登豚などを使ったカレーとアイスティーだった。

 中盤、藤井が伊藤の銀に銀をぶつけてきたあたりで、ABEMAで解説する本田奎六段(26)や深浦康市九段(52)が「千日手になるかもしれませんね」と心配したが、回避された。ちなみに本田六段にとって伊藤は、宮田利男八段(71)門下の弟弟子にあたる。

 優位に対局を進める伊藤だったが、持ち駒に歩がないため苦しい場面が続き、スリルがあった。藤井は自陣の「4二」に銀を打たれて王手をされても、玉でこれを取ることができない。取ると「6三」に馬が飛んできて「王手角取り」となり、目も当てられないからだ。逆に伊藤は、「4六」の銀を動かすと「6四」にいる藤井の角の道が開いてしまい、自陣の「2八」に待機して攻守の要である飛車が角ですっこ抜かれて馬に成り込まれるリスクがあった。

 伊藤は満を持してその飛車を取らせた。そして「2八」に成り込んだ藤井の馬は、結局、最後まで働かなかった。藤井は「6七」へ銀、「4七」へ飛車を打ち込み、「居玉」のままだった伊藤玉を上から脅かし、「詰めよ」の形を作り粘る。

 しかし、伊藤は王手を続けて午後6時20分に藤井を投了させた。消費された2人の持ち時間に差はなく、最終局面でほぼ同時に1分将棋に突入した。

 深浦九段は「難しい将棋でしたが、伊藤七段が『3六馬』とかわした手が(勝利へ)大きかった。藤井さんは攻めあぐねてきたのでは」と話した。そして「伊藤七段は最後まで馬を取られず、飛車を手持ちにしていたのが強み」と評価した。対局者を敬愛しつつも切れ味のいい解説をする深浦九段は、この日、普段以上に多く「難しい」の言葉が口を突いた。実際、難解な将棋だったのだろう。

 局後の感想戦では、敗れた藤井のほうが時に笑ったりして雄弁だった。「あっ、この手では負けてしまいますよね」と言う藤井に、伊藤は「ああ……、はい」といった感じだ。

藤井の「十八番」奪った桂馬使い

 一局を通して面白かったのは、巧みな桂馬使いで知られる藤井の十八番(おはこ)を奪うかのように伊藤の桂馬が暴れたことだ。

 伊藤は右からは49手目に自陣「3七」から「4五」へと桂馬を跳ねた。そして敵陣「3三」に成り込み、藤井玉を効果的に脅かした。左からは39手目に指した何気ない手にも見えた「7七桂」が最後に生きる。藤井に投了させた王手「8五」への飛車の打ち込みもこの桂馬の「ひも」がついて玉で取れない。藤井玉が「9四」に逃げれば持ち駒の桂馬を「8六」に打って追い込んで詰ませる。「7三」に逃げても最終的に「6五」で詰む。最後の最後まで伊藤の複数の桂馬が大きく貢献していた。

 新戦法について藤井は「作戦でした。やったことがなかったので、やってみたらどうかなと」と話した。

 深浦九段は「やはり若い藤井さんはどんどん新しいことにチャレンジしている。立派ですね」と評価したが、加藤一二三九段(84)は手厳しい。

「3三金型をどうして選んだのでしょう。趣向を凝らしたつもりでしょうが、構想がもろくも瓦解(がかい)しました。もう、この指し方は今後『不採用』でしょう」(日刊スポーツ4月20日付「ひふみんEYE」)と首を傾げた。

2強時代がやってくる

 一方で加藤九段は勝った伊藤について「大きな勝利です。私より立派ですよ。私は中原先生(中原誠十六世名人)に8年間で21連敗でしたから。それでも心境的には、相手がうまく戦っているだけで、歯が立たないとは思いませんでした」(同)と称えた。

 この春、藤井がわずかに届かなかった記録が、その中原の「年度最高勝率8割5分5厘」と大山の「タイトル戦17連勝」という昭和の巨頭2人のものだった。

 この先しばらくは、現在名人戦に挑んでいる豊島将之九段(33)、永瀬拓矢九段(31)、渡辺明九段(40)、菅井竜也八段(32)らが対藤井戦で奮戦することだろう。4月21日放送のNHKの「将棋フォーカス」に出演した田中寅彦九段(66)による「来年の今のタイトル保持者予想」でも伊藤の名はなかったが、筆者は近い将来、藤井と伊藤の2強時代になると感じる。

 藤井の牙城を崩すチャンスがどの棋士よりも早く巡った伊藤だが、竜王戦と棋王戦では1勝もできずに敗退した。それでも3つ目のタイトル戦に挑んだ。物静かな伊藤にも秘めたる強い思いがあるだろう。

期待したい棋士たちの「独自戦法」

 藤井は「3三金型の薄さが出るような展開になり、失敗しているかなと思っていた」と打ち明けた。今回は勝利への執念を探求心が上回ったのかもしれない。

 予想外の「サザーン金」の変化球を投じたが打たれた。研究期間もなく、今シリーズでこの変化球は使わないだろうが、藤井は一度負けたくらいであっさりと新戦法を諦める男ではないだろう。いつの日か磨き上げた「打たれない変化球」を披露してくるはずだ。

 AI(人工知能)研究の影響か、特に序盤は「最大公約数的」な駒組も多くなった印象だが、棋士が思い切り個性を出す人間ならではの「あれっ」と驚かせる将棋に期待したい。

 第3局は、5月2日に愛知県の「名古屋東急ホテル」で行われる。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「『サハリンに残されて」』(三一書房)、「『警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」』(ワック)、「『検察に、殺される」』(ベスト新書)、「『ルポ 原発難民」』(潮出版社)、「『アスベスト禍」』(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部